広島というところについて愚痴る。
広島市は、国際平和都市を標榜して世界的に知名度は広がっている。
長崎とともに戦争による唯一の被爆都市として、平和を訴え続けているのは意義深いことだが、深い闇の部分はあまり知られていない。
戦後の広島では市民間でも、被爆者に対する差別は酷く、日常的に忌避するムードがあったことは否めない。就職や結婚するにも大変で、それは母親の胎内で被爆した被爆二世の方々の時代になっても、辛い思いをした人が多く存在したのだ。しかも、ホントの被爆者の多くは、被爆者であることは隠していて云わないし、愚痴も云わない。被爆者手帳の申請すらしていない方々は多い。それなのに今では被爆者三世までもが手帳を保持して、広島市の恩典の下で生活している。そりゃ市民税が高くなるはずである。
今の平和公園は戦後の昭和24年(1949年)に憲法第95条に基づく特別法として、広島平和記念都市建設法が国会で制定され、同年8月6日に公布・施行されたことによって誕生した都市公園だ。
これに伴って、平和公園周辺の一部の土地も国から譲与され現在に至っている。いわば広島市は国の管理していた土地を無償で手に入れたのだ。もともと国の土地だった処にカープの本拠地であった旧市民球場や広島商工会議所などが建っている。市民球場は老朽化して建て替えるようとした時に広島市から認可されず、広島駅近くに移転建設されてマツダの命名権獲得で”ズームズーム”という名称に変わり、選手の活躍で現在は大盛況を続けている。
カープが移転した後の跡地はどうなったかというと市民交流広場という空き地になって、市民球場にあったスタンドの一部座席がモニュメント的に残り、時折、ビールフェスタだとかフードフェスタ、ラーメン祭りもその広場の半分ぐらいを仕切って開催されている。
もともと国との間では無償で譲与するのだから、営利目的で利益の発生するイベントはいけないということになっている。ところが、広島市は会場を無償で貸し出し、貸し出した先の新聞社、放送局が公共団体と共に主催者になって、一般公募の業者にブースを造らせてフェスタを運営している。
一体、どういう仕組みなのか、ブースの業者は一般市民からお金を取って飲食を販売しているのだが、利益は上がっていないということになっている。市に問い合わせても、利益が出た場合は慈善団体に寄付しているというのだから闇は深い。もちろん情報公開を請求しても、黒塗りのコピーが出てくるだけのようだ。
まずは主催者と出入り業者が儲けていることは容易に想像できる。利益が出た場合には、国に支払い義務が出る譲与契約になっているので、国にシッポをつかませないように市は報道関係と強い絆で結託してガードを固めた上で、イベントを繰り返し開催しているのだ。これはもはや犯罪に近い仕業だ。平和都市広島市が聞いて呆れる実態なのだ。
カープ球団が旧市民球場に建て替え出来なかった時も、その理由は釈然としないままだった。その後発生した「サンフレッチェのサッカー場建設」という課題も、未だに解決しないまま時が過ぎつつある。サンフレッチェはすでに球場跡地に拘らず、広島商工会議所会頭の仲介によって、広島市長、広島県知事と合意し、球場跡地の北にある基町公園広場で建設推進することになっている。
広島は、市も、県も、首長に恵まれない。一部の議員と市民が変なことばかり進言して、真面な改革をさせないという構図が透けて見える。いずこも同じとは思うが、広島は何が起こっても、一般市民が怒らないという特異な耐性があるようだ。
広島市は三角州だから、山に囲まれ、市内には川が六本流れ、四国につながる瀬戸内の海に流れ込む。穏やかな瀬戸内海を観れば島々が眺望できて、ほんとに素敵な街なのだ。政財界に蠢いて小銭にご執心な小物たちのことを考えるとホントに疲れる街なのである。