思い立って、『茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術』を鑑賞しに東京国立近代美術館へ。

 

(画像は『茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術』のスクショです。)

 

初代;長次郎氏が樂家の礎であり、スタンダードとするなら、それを時を追って次代がオリジナリティを加えて成長させて行く。時に奇抜に、時に原点回帰し。

「真空の中にオリジナリティはない」と社会学者の上野千鶴子氏は言った。

そして、「同じものを同じように作ってこそ、それぞれの、隠し様の無い個性が露呈する」と言った人がいた。

 

それぞれの代の美しさを、息を飲んで鑑賞できた。

 

 

 

 

春の、桜の季節の千鳥ヶ淵は、いつも以上に、私にとってとても大切な場所になる。

初めての就職先がすぐ近くだったから。

 

ワクワクもクヨクヨも全部、

楽しいことも達成感も、悔しい事も情けない事も全部、ここで味わった。

同期とは、一緒に住んでもないのに、四六時中、職場だ出張先だ、はたまたイベント会場で、苦楽と寝食を共にし、まさに“同じ釜の飯を食った”、人生でとても大切な友。

 

半蔵門の桜が咲くと、いつも心が揺れ動く。

 

昔のように、力技で何でも解決はできなくなってきている。

勢いで、情熱で、やって来られたのも、失敗を笑って許されたのも、“次”があるからと期待されたのも、若さゆえ。

アレはアレで、最高に楽しくて充実して成長した日々だった。

 

今はもちろん、そういう日々は求めていなくて。

もっと穏やかに、ゆっくりと、確実に生きていきたいとつくづく思う。

 

イギリス大使館の桜並木の下を歩きながら、ふと、気付いた。

 

今の私って、ゆっくり優雅に確実にと思いながら、ただ、だらしなく時間を過ごしてない?

もっと、最短距離で効率的に、そしてそれを乱暴でも雑でもなく、優雅にゆったりと、成果をあげられるんじゃないか?

 

どうせ同じなら、美しく優雅に、そして心地良い方を選びたい。

 

さぁ、どうする?

 

ここ最近、どうも体調が悪くて、気持ちもふさいでいて、引きこもりがちだった。


取り敢えず、今夜は大切な、2009のボルドーを開けよう。

これは私への祝杯。

 

たまには、自分で、プラスの方にメトロノームの針を大きく揺らしてみるのも悪くない。

そうやって、自分でバランスを調整してみるのも、私らしくてイイ。

 

 

父の小学校時代からの親友のおじさん。

小さいけれど、とっても粋で味があって素敵なお寿司屋さんの大将。

狭い店はいつもお客様で混んでいて。

 

普段はとにかく面白くて、お寿司もお造りももちろん美味しいけれど、何よりも、話が「旨いっ」。

「ねぇ、なんなの?」と、呆れ気味でツッコむ私に、「なんなんだろうね」と返す適当さも大好きで。

お腹も心も美味しさで満たされる。

 

 

私の父が亡くなった時、涙を流しながら、お寿司を握ってくれた。

こんなに、心のこもったお寿司は後にも先にも食べた事がない。

 

今でも、大切な日、大切なお客様やお仕事の時は、大将にお願いをする。

 

 

 

 

今日、大将から突然電話があった。

「来週の火曜日でいったん、店を閉めるから。注文は大丈夫だよね?」と言うのだ。

 

意味が分からず「え?閉めるって何?辞めるの?」と聞き込みグータン(←古いね)な母に、

大将は「いやぁ。勝手口が狭くてさ。(新しい物件を)探してたんだけど、見つからなくて。じゃぁね」と、相変わらず一方的に切った。

 

きょとんとする母を横目に、私は笑いが止まらない。

「ねぇ、なんなの?何で勝手口が狭いからって店を閉めるのよ。なんなのよ」

 

仕方ないから、速攻で電話を折り返してお寿司を大量に注文し、出前ついでに聞き込むことに。

だいぶ時間が掛かって到着した大将に、早速聞き込み開始。

 

どうやら、お店が繁盛をしていて手狭になった上、大将が大きくなった(太った)から、余計狭く感じるらしく、大きい場所(お店)を探しているらしい。

でも、なかなか見つからなくて、面倒くさくなったから、いったんお店を閉めて物件探しに専念すると言う。

 

 

今年67歳になる大人の男が、計画性があるんだかないんだか、

それでも、新たに、しかも大きくお店を構え直して出直そうというんだから、

私は憧れと共に、笑いが止まらない。

 

 

 

「ねぇ、なんなの?」と言ったら、やっぱり「なんなんだろうね」と、答えてくれた。

そして「良い歳したオヤジが開けた新品の店って、お客さん、怖がって入らなそうじゃね?」と大将は自分に呆れて爆笑していた。

 

父の葬儀で私が流したスライドショーの写真が気に入ったから、笑顔の父の写真が欲しいと言ってくれた。

 

きっと、写真を見て「笑っちゃうよな~」と言いつつ、ワクワクしながら新しい道を一緒に進んでるんだろう。

 

 

人生、何歳からだって、新しい道を進めるんだ。

 

 

面白過ぎる。

そして、ホント、格好良すぎるよ。

 

 

ちょっと前まで、ずっと、頭の中がモヤモヤしていてイライラしていた。

 

理由は「何やってんだろう」という自分の現状への苛立ち。

 

このままで良いの?これで良いの?

もっとこうしたいのに、あぁしたいのに。

これがあれば、こう出来たのに。

 

 

 

 

ひたすら本やブログを読み漁り、古い洋服を捨てたり、断捨離を進めたり。。。。

 

“理想の自分を思い浮かべて、それが自分にふさわしいんだと、自分にインプットして下さい。

脳みそは、自分が思い描いたように、自分を導いてくれます。”

 

 

そうして、理想の自分を強く思い浮かべては、

現実との乖離に苛立ち、閉塞感に苛まれる日々。

 

実際はこうじゃん。

これもあれも嫌だけど、結局、我慢するしかないじゃない。

 

そう、自分のアラ探しをして、自己嫌悪に追い込んでいた。

 

 


 

先日受験した、資格試験。

問題を解きながら、分からない問題、自信がない問題に直面する度に、ふと、“問題に媚びている自分”に気付かされた。

 

自信が無いから、「これって、こうだよね?こうじゃないでしたっけ?どうだっけ?」と同意を求めるような感覚。

「私は間違ってないですよねぇ、、、」と取り入る感じ。

 

そうだ。私はずっと、自信のなさを隠して、無責任にも解を誰かに委ねていたんだ。

そして、人の選択に乗っかって、責任転嫁をしていただけなんだ。

(試験に集中してないネ!)

 

 

試験が終わり、会場を後にした時の解放感。

最後の追い込みの日々を終えた達成感。

 

仕事に追われ、当日も仕事が入って受験出来ないかも知れないと思って、なかなか重い腰が上がらなかったけど、

ようやく始めた勉強をしながら、「あ~これこれ、そうそう!」と思い出していた、“勉強をしている、前に進んで居る”という手応え。

 

 

 

 

そう。

 

千里の道も一歩から。

 

人生って、すぐに変える事は出来ない。

 

だからって、その中でとどまっていれば、やっぱり、そのままなんだ。

 

まずは、一歩を踏み出さないと、何も変わらない。

 

でもね、それは逆に、一歩を踏み出せば、千里の道へたどり着くという事。

 

そんなシンプルだけど、とても大切な事を、ようやく、ようやく、思い出した。

 

 

もしかしたら、いつかまた、立ち止まってしまう時もあるかも知れない。

そんな時の自分ための、備忘録。

まずは、一歩、踏み出してみて。きっときっと、前に進めるから。