追悼

 

 

 

頑固オヤジ、わがまま、自分本位、でも存在感は抜群、それだけで十分な人だった。

 

 

 

 

 

2月1日に石原慎太郎氏が膵臓癌により、89歳で亡くなられた。

 

芥川賞作家、俳優、政治家、東京都知事...と色々な顔を持つ氏だが、

個人的には、都知事のイメージが強い。

 

それと、実弟が、石原裕次郎、というのも、

子供心に、テレビドラマ 『太陽にほえろ!』 を毎週欠かさずに観ていた者としては、

その‶お兄さん"っていう位置付けであった。

 

氏は、それを嫌っていた、と言うが、まぁ、世の中ってそういうものだろう。

 

 

若かりし頃の慎太郎氏(向かって左)。 実弟、裕次郎と。

 

応援演説に駆けつけた、裕次郎。 僕には政治家時代の慎太郎氏の記憶は薄い。

 

 

 

自分も小学校の時、姉が学校で人気者だったため、

‶○○の弟"という迷惑を被ったので、同調出来るのである。

 

元々のものはあっただろうが、そんな中からも、反発心や反骨心が高まっていった、と思う。

政治家や都知事での、怒れるオヤジの原点だろうし、

自らを‶暴走老人"と言ってしまう辺りにも、垣間見れる。

 

 

都知事時代。 やはり、この‶暴走老人"ぶりは強烈だった。

 

 

 

息子の石原良純氏の目から見ると、作家だと言う。

 

ベスト・セラーとなった、『太陽の季節』 は、

裕次郎主演で映画化され、‶太陽族"、‶慎太郎刈り"という言葉やブームを生み出したし、

裕次郎を綴った、『弟』、田中角栄を題材にした、『天才』、

三島由紀夫氏との対談本等が僕の記憶に残っているものの、

しっかり読んだ事は、誠に恐縮ながら一度もない。

それに、これからも、特に読もうとは思わないだろう。

 

僕は、文学や音楽、絵等に、リアルを求めないし、

そういう芸術は、ファンタジーやフィクションだと、思っているのだ。

リアルな現実というのを直視したくない、というのが本音でもある。

社会への不満を歌ったポリティカルな歌より、ラヴ・ソングを僕は好むからね(笑)。

 

ただ、その時代時代に、ヒット作品を出し続けた氏の力量は高く評価出来るだろう。

 

 

 

           

 

  『太陽の季節』(1955)                          『弟よ』(1999)        『老いてこそ人生』(2002)

 

                               

                       『天才』(2016)                       『三島由紀夫 石原慎太郎 全体話』(2020)

 

 

三島由紀夫と。千代田区紀尾井町の文春ビルにて(1956)。

 

 

 

 

だからこそ、石原慎太郎氏の、‶死"は、昭和のオヤジの終焉を見た気がする。

 

うちの親父も、今年89歳の‶暴走老人"である。

昔の恐い面影は無くなり、ヨボヨボな姿には動揺しなくも無いが、

今だに、暴言を吐く、暴走ぶりは健全なので、周りは、はた迷惑至極である。

 

そんな親父と、氏は、ダブって見えるのだろう、僕の目には。

 

 

でも、悲しさとか、無念さは、毛頭無い。

あるのは、‶昭和時代の終わり"であり、そういう‶親父像の崩壊"を意味するだけである。

 

 

 

石原慎太郎氏の‶怒り"は、誰かが引き継げるものでは無い。

 

今は、周りの様子を伺う、自分の言葉を持たない弱腰の政治家が蔓延るのだから。

令和は、新型コロナウィルスと共に、闇に突入した。

救世主等は現れず、お茶お濁すような、馴れ合いの、チーパッパ政治が行われ、

テクノロジーや無駄に溺れ、堕落した、

機械化された、本来の人間力の無くなった人類は終焉を迎えるかもしれない。

 

 

だからこそ、今こそ、‶暴走老人"の様な、強いリーダーシップが必要なのだ。

 

 

 

 

ご冥福をお祈りいたします。

石原慎太郎氏こそ、‶最後の暴走老人"だった。

 

 

暴走老人は、房総ではなく、逗子に住んでいたが...オヨヨ(爆笑)。😁

 

 

 

 

 

 

🌉

A LONG GOOD-BYE 🙋