ゲリオン、バゲゴン、ゲリオンの武頼庵メイコだす。

 

 

  お股せんべい!!!!!!!  ハロー・ゼア!

 

 

 

今回はマドンナ。

有名すぎるけど、結構、デビュー時の事は最近、語られないので、語っちゃいましょう、だす。

今や敵ナシですが、1983年から1986年頃までの、

シンディ・ローパーとの一戦は見応えがありました、だす。

 

 

今でこそ、‶QUEEN OF POP"、‶女帝"と呼ばれるマドンナだが、

1982年からのデビューして間もない頃は、かなり厳しい時代であったと言えよう、だす。

 

1982年頃のマドンナ。「Everybody」をリリース。セレブの雰囲気は皆無。

 

 

     

               『バーニング・アップ』                       『N.Y. ダンステリア』                

 

時は1983年から、84年だす。

 

特に同時期のデビューとしてシンディ・ローパーの存在は大きかった、だす。

アメリカにおいては、マドンナの1stアルバム『バーニング・アップ』は新人としては、

アルバム・チャート8位と好成績を記録していたのだが、

更に上回っていたのが、シンディの1stアルバム『N.Y. ダンステリア』である、だす。

全米をチャートを制覇し、ベスト10ヒットを3曲も送り込み、

2ndシングルの「Time After Time」はNo. 1をに登り詰め、まさに敵ナシの状態だった、だす。

 

  No. 1 Single 「Time After Time」

 

最終的にはグラミー賞の最優秀新人賞をも獲得しただす。

それなりのチャート・アクションを残したマドンナはノミネートさえされなかったのが、

意外であった、だす。

 

        カラフルなシンディ。

 

日本においては、シンディの天下であっただす。

一部のチャート通では、マドンナのファンもいたが、認知度は雲泥の差であった、だす。

シンディの元気なガール・ポップは、わかりやすかっただす。

ど派手なメイクと衣装を武器に親しみやすいルックスも人気を高めたし、

何より個性的な唱法ではあったが、歌が滅茶苦茶上手かったのである、だす。

 

それに引き換え、この当時のマドンナは、

NYクラブ・シーンでのアンダーグラウンドからの12インチ・シングルを数枚リリースをして、

ようやくアルバム制作に取り次いだ、といった感じで、

美術学校のヌード・モデルをしていたのも、この時期である、だす。

 

美しい裸体。当時は衝撃だったが、今でも露出大ですからね、女帝は。見飽きた感アリ!?

 

 

シングルで「Everybody」、「Physical Attraction」、「Burning Up」と、

地道にダンス・チャートにランクインさせていたのだが、

ようやく「Holiday」が、ポップ・チャートのトップ20に食い込んだのだす。

ただ、クラブ・シーンでのダンスお姉さん的なノリで、

個性的なシンディに遅れをとっていたのは事実である、だす。

 

  Single 「Everybody」ジャケにはマドンナは写っていない!

 

ここでアルバムではちょっと毛色の違うポップな「Borerline」がシングル・カットされる、だす。

プリティでキュートな、今のマドンナとは似ても似つかないPVが功を奏す、だす。

これが、予想通りのトップ10ヒットとなり、追撃ムードが高まって、

そして、タイトル通りの「Lucky Star」が更に上をいくヒットとなり、

アルバムも300万枚を売り上げる、だす。

新人としては素晴らしい成績だったのだが、恐るべきはシンディ、だす。

600万枚を売っていたのである、だす。

 

    「Borderline」の頃。

 

しかし、マドンナは儲かったお金を、

惜しみもなく、次作『LIKE A VIRGIN』の制作につぎ込む、だす。

ヒット作曲家チームに曲を依頼したり、

同時期に大ヒットしていたデヴィッド・ボウイの『LET'S DANCE』のプロデューサー、

ナイル・ロジャースを起用だす。

その間には映画『マドンナのスーザンを探して』、『VISION QUEST』に出演する、だす。

「Into The Groove」、「Crazy For You」はこの映画の主題歌であり、

多方向にヒットの種を蒔いていたマドンナは、

この後の大ヒットを予想していたんでしょうか?だす。

 

そう、蒔いていた種が全て、追い風になるのです、だす。

 

「Into The Groove」はイギリスでNo.1を獲得、「Like A Virgin」以上のヒットを記録、

全米では「Crazy For You」がNo. 1になるのだす。

 

 

映画 [スーザンを探して]

       自由解放な女性役。

 

映画 [VISION QUEST]

      シンガー役。

 

 

誰しもが知る『LIKE A VIRGIN』の大ヒットと馬鹿げたヴァージン騒ぎは予想以上で、

マドンナはPTAを敵に回す事となる、だす。

プリンスと同様な下着風ファッションも非難の的となり、

デビュー前のヌード・モデル時代の写真が流出したのも、イメージを悪くさせた、だす。

クリーンなシンディとは、同等のヒットは飛ばしたものの、

モラルの低い、ダーティなレッテルを張られてしまう、だす。

それは、女帝となった今でも同様だす。

 

   

 

       カラー版。

  『LIKE A VIRGIN』

 

そういう部分も利用した、と言われる程、これもマドンナの戦略だったのでしょうか?だす。

敵を作りながらも、味方をそれ以上に増やしていく。アンチ・ヒーロー的発想である、だす。

 

シンディは2ndアルバム『TRUE COLORS』をリリース、

アルバムも1stシングルのタイトル曲も全米1位を獲得したものの、

前作の様な、超特大ヒットには至らなかった、だす。

シングル・ヒットを連発出来なかったのが敗因といったところか、だす。

あと、はっちゃけた部分が少なく、

真面目に音楽しちゃった、ところが面白みに欠けていた気もします、だす。

 

    

『TRUE COLOR』                           『WE ARE THE WORLD』

 

 

シンディはアフリカ救済のUSA for AFRICAの「We Are The World」に参加し存在感を示すも、

1985年に行われた大イヴェント『LIVE AID』に参加出来なかった、だす。

意外だったのが、マドンナは、このステージに立ったのだす。

 

           楽屋での1枚。

    ‶LIVE AID"でのステージ。

 

 

ここがマドンナとシンディの分岐点であった、と、わたしゃ、思うのだす。

 

 

シンディは地道ながら、現在も活動を続けているだす。

日本においては、親日家でもあり、ライヴも頻繁に行われるので、

ファンとしてはいい感じなのではないだろうか、だす。

マドンナは、逆にお高いイメージ、セレブリティの象徴になってしまった感があり、

ライヴのチケット代もセレブ料金になってしまった、だす。

 

どちらがいいのかはわからない、だす。

 

1989年のアルバム『LIKE A PRAYER』あたりから、

日本では、アーティスト的な見方をするようになった気がするが、

マドンナの先見の明は、1982年のデビューから既に発揮されていたと思う、だす。

 

ただ、わたしゃ、ダンステリアで踊り歌うマドンナが好きだす。

 

 

 

 

 

今だにベストは1stアルバム『バーニング・アップ』だし、ジャケットも含めて、だす。

あのキュートでプリティな「Borderline」のPVが全てを物語っていると思うし、

わたしゃ、のマドンナはここにいる、だす。

    

 

     

Borderline」のPVより。

 

マドンナの映像作品で今だに『MADONNA LIVE THE VIRGIN TOUR』は,

DVDにも、Blu-rayにもなっていないだす。

一番、ダンスしていて、ロックしているライヴなのに(口パクなし)。

今のマドンナには、この頃のポッチャリ、イモ姉さん風な容姿は許せないんだろうな(笑)だす。

 

 

        キュートな動き。

 

       ウェディングドレス。

 

 

まぁ、仕方ない(笑)だす。

 

ホイットニー・ヒューストン、デビー・ギブソン、ジャネット・ジャクソン、カイリー・ミノーグ、

ブリトニー・スピアーズ、ビヨンセ、レディ・ガガ、ケイティ・ペリー、テイラー・スィフト、

次から次へと現れる女性アーティスト達...。

 

マドンナは今も戦い続けている、だす。

 

 

そして、負けない、だす。

なぜなら負けの屈辱を知っているから、だす。

 

 

 

  では、ごきげん羊羹♡