宮崎県 歴史 師走祭り 百済 | とばちゃんのブログ部屋

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宮崎県在住の男性です。

『宮崎県 歴史 師走祭り 百済』

 
師走祭りとは、旧暦12月14日から同16日に当たる日
比木神社(児湯郡木城町鎮座)の一行がフクロガミを奉じて
延々約23里におよぶ決まりの道を神門神社(東臼杵郡南郷村鎮座)まで巡行しそこに滞在して帰る祭りです。
それには往古、異国神(百済王の一族)がこの地に定着したとする
由来伝説が語り継がれています。
 
【百済王伝説とは・・・】
昔、百済の国において大乱が起こり、禎嘉王(ていかおう)と
その子の福智王(ふくちおう)とが乱を避けて、女官・従者と
共に日本へ渡った。
彼らは日向の国の小丸川の河口、現在の高鍋町の蚊口浦に
上陸する。
禎嘉王は小丸川の上流、現在の南郷村の神門(みかど)に
居を定め、王子の福智王は下流の現在の木城町の
比木(ひき)に住む。
しかし、まもなく、追っ手がかかり、禎嘉王は現在の東郷町の
伊佐賀で防ぐが矢を受けて戦死する。
いま、南郷村の神門神社には禎嘉王を祀り、木城町にある
比木神社には福智王を祀る。
なお、小丸川河口の高鍋町の鴫野にある大年神社は
禎嘉王の妻にして、福智王の母なる之伎野(しぎの)を祀ると云う。
【比木神社】
高鍋藩の秋月歴代藩主より深く崇められ、社殿改築、鳥居の建立等
寄進奉納されている。
西暦660年朝鮮半島の百済が、唐と新羅の連合軍に攻め滅ぼされ
663年百済再興の戦いにも破れ、多くの王族部族は
日本の畿内へと亡命しました。
 
【御門神社】
神門神社(みかどじんじゃ)は、宮崎県東臼杵郡美郷町にある
神社。
祭神は大山祇神、百済の禎嘉王、倉稲魂命
品陀和気命(応神天皇)ほか。
本殿は国の重要文化財に指定されている。
『神門神社縁起』によると、奈良時代中期の孝謙天皇天平勝宝
八歳(756年)、660年に滅亡したはずの百済より政争を
逃れたという王族の禎嘉王とその子の福智王が
日向の海岸に漂着し、やがて禎嘉帝は
神門の地に落ち着きました。