「優しい」というのは、一面では「犠牲」になっているように私は感じてきました。

よく、優しい人は強いと言われたりしますが、それは犠牲を耐えれているのだから確かに強いのだろうけど、犠牲が嫌な私は優しさと強さを結びつけることができませんでした。

それが昨夜、ある人が、「優しい人は強くて」と書いてくれたとき、優しさが強さに変容するのがスッと入ってきました。

優しい故に、強くもなれる。

優しいと強いとは、立派に両立するのだと、納得しました。

これまで、どこか優しさにためらいを覚えてきた私は、そのためらいから解放されました。

どうもありがとう。