最近、会社でイザコザを目にする機会が増えた…大抵、どちらかが偉い人。

僕は、イザコザの直接の当事者ではない。

だけど間接的に関係があるから、イザコザを目にすることになる…意見も言うことになる…ここで意見を躊躇わないこと…自分を抑えては、これまでと変わらない…信じること、そして、委ねること。

ひとつを生きる想いから、どちらかに肩入れはしないようになった。

誰も、自分が間違っているとは思っていない。

だから相手を説得しようとしている。

僕もそうだった。

僕がイザコザの当事者になっていないけど目にするということは、僕に望みを遂げる機会を与えられたんだと思う。

望み1…どちらが正しいと裁かないこと。

望み2…そして、結果にこだわることなく、最善になることを信じ、ひとつの愛を祈ること。そして、結果は委ねること。

僕は、そんな祈るような日々を生きたいんですよ。

最近改めて気づいたけど、それが望みなんですよ。

だから、いまの環境に。

どうもありがとう。

…中国語って、分かりませんけど、この言葉は好きです。

謝謝(シェシェ)