あくまで僕の分け方ですけど。

「陰」で「ひとつ」でいようとするとき、例えばてっとりばやいのは、そこに自分かいないときに見える風景を想像してみること。

まるで自分がそこに存在する空間そのもののように感じられればOK。

そこに起こることをただ眺めている存在だ。


でも、これだと自己という個はいないから、ときに苦しくもなる。生命力溢れるような生き方ではないから、生きる楽しさとは、ちょっと方向が違う。

悟り系の人は、もしかするとここに留まる。

…場合によっては、まるで世捨て人のようになりかねない…すべては幻想とか(笑)…まるで僕です。結構、スピリチュアル系に多いかも?(笑)。



「陽」で「ひとつ」でいようとするとき、それは溢れている生き方。
陰タイプの僕にはあんまり経験ないけど(笑)、自他の区別はなかった。
ただ、愛だから、愛することに満足。

だけどこれ、相手の状況・気持ちを察することがない…自分の溢れる気持ちを発散しているから…少なくとも僕はそうだった。

相手の事情におかまいなく愛を発しているようなところがある…自分はそれでも幸せ~…愛って表現するものだから。

で、これは、もし何かの反発心が残ったままだと、これと合わさって、頑なな押しつけ、荒さになりかねない。
ただ、自分では正しい?と思っているから、なかなか周囲は大変かな(笑)。

たぶん、ご本人は、難しい局面を引き寄せるんじゃないかと(笑)。


そして、「陰陽」の「ひとつ」。

これは、パワフル。
イメージは、スーパー サイヤ人(笑)。

僕もまだ、試行錯誤中。
身体が浮きそうに思うようなパワフルさ。

…でもなぜか疲れる…こんなとこもスーパー サイヤ人に似てる(笑)。でも疲れるってことは、まだ僕が本物でない証拠。

力に呑まれると、たぶん失敗する。

どこまでも相手や自分を裁かずに受容する心と愛する気持ちの発露。

修行しているように見えますか?
苦しんでいるとか?

いいえ。

僕は、やりたくてやっています。

だから、例え(内観とか?)苦しくても、

だからどうした?

…たしかに、休むかもしれない。愚痴るときも(笑)。

だけど、僕はまた歩き始める。

なぜか?

それがやりたいことだからです。