数年前、『神との対話』という本に出会った。
そして、繰り返し読んだ。
4~5回は読んでいるだろう。
でも、頭では分かっても腑に落ちなかったことがあった。
それが、『闇は最大の贈り物』とかいうところだった。
闇がないと、光を体験できない。
そんな意味だった。
理屈では分かる。
だけど、気持ちはついてこなかった。
闇(ネガティブ)は苦しいから、僕は光を追い求めた。
無条件の愛なら、苦しさにサヨナラできる。
そんな思いがどこかにあった。
だから、闇が贈り物と言われてもピンとこなかった。
ず~っと、できることなら闇とサヨナラしたかった。
…それが、最近変わってきた。
愛を光を経験するには、闇が必要っていうのが、分かってきたのだ。
僕は、最近、会社の部下に自由をプレゼントした。
心からやりたいと思うことを、自由にやってみたらと言った。
そして、それをできるだけ応援した。
少しのためらい?は、正直かんじた。
でも、そうしようと思った。
その結果、その人は、本当に楽しそうだった。
それを見た僕も嬉しかった。
そしてそのとき、気づいた。
スピリチュアル的には、誰もが自由だ。
それが真理。
だから、自由をプレゼントするなんて、本来できない。
プレゼントするには、不自由という幻想が、現実として必要だったのだ。
僕は、自由をプレゼントし体験したつもりだったけど、それは不自由というネガティブな幻想がないと、体験できないものなのだ。
そして、普段から不自由を感じる部下も、僕が自由をプレゼントするには必要なキャストで…。
僕は、何も言えなくなってしまった。
これまで、その場その場のネガティブに負けないような、愛の軸を自分につくろうと試行錯誤してきた。
ブレない自分であろうとしてきた。
…だけど、そんなふうに力む必要なんて、最初からなかったのだ。
みんな、僕が愛を体験するように、役割を演じてくれている存在だった。
そして、この世界のネガティブも、おなじことだ。
すまなかった。
避けてきて、すまなかった。
憎んだりして、すまなかった。
ごめんね。
そして、繰り返し読んだ。
4~5回は読んでいるだろう。
でも、頭では分かっても腑に落ちなかったことがあった。
それが、『闇は最大の贈り物』とかいうところだった。
闇がないと、光を体験できない。
そんな意味だった。
理屈では分かる。
だけど、気持ちはついてこなかった。
闇(ネガティブ)は苦しいから、僕は光を追い求めた。
無条件の愛なら、苦しさにサヨナラできる。
そんな思いがどこかにあった。
だから、闇が贈り物と言われてもピンとこなかった。
ず~っと、できることなら闇とサヨナラしたかった。
…それが、最近変わってきた。
愛を光を経験するには、闇が必要っていうのが、分かってきたのだ。
僕は、最近、会社の部下に自由をプレゼントした。
心からやりたいと思うことを、自由にやってみたらと言った。
そして、それをできるだけ応援した。
少しのためらい?は、正直かんじた。
でも、そうしようと思った。
その結果、その人は、本当に楽しそうだった。
それを見た僕も嬉しかった。
そしてそのとき、気づいた。
スピリチュアル的には、誰もが自由だ。
それが真理。
だから、自由をプレゼントするなんて、本来できない。
プレゼントするには、不自由という幻想が、現実として必要だったのだ。
僕は、自由をプレゼントし体験したつもりだったけど、それは不自由というネガティブな幻想がないと、体験できないものなのだ。
そして、普段から不自由を感じる部下も、僕が自由をプレゼントするには必要なキャストで…。
僕は、何も言えなくなってしまった。
これまで、その場その場のネガティブに負けないような、愛の軸を自分につくろうと試行錯誤してきた。
ブレない自分であろうとしてきた。
…だけど、そんなふうに力む必要なんて、最初からなかったのだ。
みんな、僕が愛を体験するように、役割を演じてくれている存在だった。
そして、この世界のネガティブも、おなじことだ。
すまなかった。
避けてきて、すまなかった。
憎んだりして、すまなかった。
ごめんね。