ある男がいた。

その男は、こう思い込んでいた。

「私は、右手なんだ。」



なぜなら男はゴーグルをしていて、そのゴーグルには、右手以外の自分の身体が見えないように設定してあったから。

「私は、ものを握るのが好きなんだよ。」

「それに、何かを触ったり、ゲンコツを握ったりもできるんだ。」


えっ?……いや、それって「あなた」じゃなくて「手」の性質なんだけど…手って、そういうものじゃない?

周りからそう言われても、男にはなんのことだかよく分からなかった。

そして、反発もした。

「何言ってるんだ!、俺は俺だ!。」

「俺は俺でいいんだ。そのままでいいんだよ。」


とは言うものの、男は無意識のうちに、足で歩いてあちこちに行っていた。

しかし、自分を右手だと固く信じていたので、そのことに気づいていなかった。


歩いているので周りの世界は変化していたが、自分で動いているから変化していることに気づいていなかった。

なので、こう思っていた。

「なんで世界はこんなに変わってしまうんだ!、次はどんな世界なんだ?、不安でたまらない!。」


…でも男は、自分で気づいていないだけで、右手という存在ではなかった。

右手だと思い込んでいたので、左手を使えば楽なことも無理に右手でやっていたので、そのための困難さはあった。

しかし「自分は右手だけではない。」と気づいている人よりも劣っているということもなく、何の問題も実はなかった。


ただ、自分は右手だと思い込んでいるだけだった。




時が経ち、男は、
「なんで自分には足がないんだ?」

周りを見て羨ましく思うようになった。


どうしたら自分は歩けるんだ?

どうやったら足の能力が得られるんだろう?

そうすれば、好きなところに行けるのに…。

でも、男には足があったし、無意識のうちに歩いていた。

ただ、自分は右手だと錯覚して、自分に足りないものがあると思い込んでいるだけだった。

男には、何の問題もなかった。

気づいていないだけで、完全だった。




……やがてまた時が経ち、右手しか見えないゴーグルの設定が解除された。

そして男は、ふと気づいた。


あれっ?、足があるじゃないか………なんだ、最初からあったのか…。


う~ん、なかなかの体験だったな。





僕らは普通、身体を、あるいは自我(思考)を自分だと思い込んでいる。

気づいているかどうかだけ。
^^