普段、そんなに無理してるつもりはありませんが…でも、しているんでしょうね、やはり。

なんていうか、ホッと一息つきたい、自由にゆっくりいたい、そんな思いで、1人で何もしないでいたいって思うときがあります。

何かをさぼって、こっそりとゆっくりしたときの解放感を味わったこと、おありでしょうか…。

そんな解放感を求めるまでに、僕は普段、自分をがんじがらめにしているんだろうか…おそらくそうだ。

たぶん、やりたくもないことを無理にやっているんだろう…。

何もしなくていい…。

何も、する必要などないのだ…。

そう言い聞かせて公園のベンチに座っていると、胃だか腸の辺りが、だんだんと軽くなるような気がする。

…こんな風に座ったまま、気持ちの上で、いろんな役回りを脱ぎ捨ててみる。

家族の一員としての僕。

会社の一員としての僕。

強く意識している役回りはこんなとこかな。

そんな役回りを演じている時、僕は、○○であるべき、みたいな価値観で、自分を縛っているのだろう。

それに息苦しさを覚えているようだ。

夜、一人瞑想する時間が待ち遠しく思うとき、その息苦しさから解放されたいって思っているのが本音なのだろう。


……普段からこうして、何にも考えないで、何の役回りも演じずに、ただいれば、それでいいんだよな…。

こうしてベンチに座って、役回りを忘れて解放感に浸ることもできるけど、同じように座ったまま、その役回りにしがみつくこともできる…それは、僕の選択だ。

だから逆に、日常でも、そんな幻想の役回りを外して、あるいは幻想と見抜いた状態で自由でいることが、……できるはずだ。

それが意識的でいるっていう一面なんだろう。