書き出しのみ。選別は別日に頭をリフレッシュしてから。

 

  1. 【健康】運動をちゃんと継続する
    • 目標体重:60㎏切り
      • 大学時代は52㎏ぐらいだったが今は67kg
      • 夜食を絶つ、プロテインはOK
      • 腹筋割れたらいいね
    • 目標運動頻度:週3
      • 1㎞以上のランニング + 水泳
      • 筋トレはなるべく毎日何かしら自重でやる
  2. 【仕事】自分で満足のいくレベルで仕事をする・逃げない
  3. 【挑戦】資格試験の勉強を始める
    • 開始時期:9月~
    • 勉強時間を記録する
  4. 【資産形成】もう少しキチンとやる
  5. 【年内にやりたいこと】また考える
  6. あと何か思い浮かべば
  1. ふと思い立って、チャットGPTに23年の振り返りをするためにどのような論点を設定すべきか聞いてみた。こういうフレーム作りみたいなものはGPTは非常に便利である。別にそれに必ずしも従う必要はなく、単に参考にして採用・不採用を決めればよい。自分的には良い論点だと思ったのでそのまま採用させてもらった。問題は振り返る時にパッと何を書けば良いのか思い浮かばないことだ。それだけ日々を考え無しに(或いは浅慮に)生きている証拠でもある。例えば「目標の達成度」「成長と学び」「困難と挑戦」というあたり。一体自分はどういう目標を立ててどんな学び・成長をし、どのような挑戦をしたのか、即座に出てこないのである。うーん困った。まあこの試行をもって、「2024年こそはちゃんと目標を立てて挑戦をしましょう」というクソみたいな反省が浮かんだのはある種、一歩前進だったかもしれない。
  2. 駐在を経て自分の中で価値観がどう変わったか。たぶん「短期的には思ったよりも変わらなかったが、長期的には大きな影響を与えるのだろう」という仮説を立ててみた。今すぐには分からないのだが、①海外生活を経験してみること、②日本にいたのでは会えないような人々に会って様々な価値観や仕事の仕方を吸収すること、③家族との私生活においても大きな違いが出ること、などがあり、今はこれらが自分をどう変えるのかは分からないけど、たぶん来年~数年後、もしくは何十年も後に思い出すような大きな影響を受けているのではないかと思う。今この件について長々と書いても良いけど、もう少し待って自分の中で熟させた方がいい気がしている。それこそ24年の振り返りで「答え合わせ」してみよう。※自分への宿題
  3. 昔、大学の陸上部で女子キャプテンをやっている彼女がいた。彼女は俺の出身大学の陸上部で、所謂インカレの形で他大学から入部した子だった。インカレ元の大学生ではない学生から出た、初めての女子キャプテンだったようだ。そのことが原因で彼女は苦労していた。インカレ元の大学生である男子キャプテンから「お前は頭が悪いから分かってない」みたいなことを言われ続け精神的に堪えていた。自分にはどうしても理解がいかないのだが、偏差値が高い大学に行ったからと言ってどうしてそんなに偉そうにできるのか。スポーツをやるという分かりやすい結果が出る分野においてさえ、自分より下の人間を作り出して(特に女性に対して)マウントを取るしかない高学歴の男という人種が(実際その大学出身だから分かるのだが)山のようにいる。偏見だがたぶん男子高出身である。同じ大学出身の人間として非常に残念かつ、ダサいなあと思う。彼女が泣きながら愚痴を言うのをずっと聞いていたのだが、どう考えても彼女の方が主張に筋が通っていて「分かって」いた。高学歴の体育会の部活のキャプテンと言えども、人間のレベルというのはこんなものである。自分の頭で考えられない高学歴という典型的な人種だ。元カノ、今は元気でやっているだろうか。関係ないのだが自分がつくづくクソ人間だなと思うのは、こうして大変な思いをしている彼女の涙を見ながらもどうしても感情移入できず、男側に対して「ダサいな」「しょうもね」という感想しか浮かばなかった。言ってしまえばそんなレベルの低い(レベルの低い人間がトップを張っている)組織からはサッサと逃げてしまえば簡単にケリがつくのだが、まあ言うは易しであろう。
  4. 今年は仕事において逃げまくった。責任を逃れ、自分のスコープの外には基本的に興味を示さず、かつ自身のスコープと思われる仕事も一部はやり切らず、自分の体調と精神的健康を重視しまくった結果、とても健康的(だが日常に締まりが無いために自然と自堕落的)な年末を迎えている。つくづく自分はサボれる環境においては徹底的に甘える人間だなあと思う。さすがにこれだけ逃げた中では、来年はもう少しちゃんと自分が「今年はやり切ったわ」と思える程度には気を引き締めて自分に厳しくやろうと思う。これも24年の振り返りで「答え合わせ」してみよう。※自分への宿題
 

昔から他の人と感覚が合わなかった。小学校の時・・・中学校の時・・・高校の時・・・大学の時・・・社会人になった今でも・・・。

 

いまの自分は普通の社会人をしている。何とか生きていけるぐらいには仕事をし、結婚もして幸運なことに可愛い子供も授かった。

 

周囲の人は自分のことを「少し変な奴」とは思っているのだろうとは認識している。会社の中でも少し変わった奴ぐらいには認識されているかもしれない。妻には自分のことを少し「開示」しているが、「本当にあなたのような人間には、子供にはなってほしくない」と言われる。

 

もしかすると自分に「社会不適合者」というラベルを貼っているのは自分自身なのかもしれない。

 

そりゃある程度は社会不適合である自信はある。そんなことは小学校に入ってすぐに理解した。小学校・中学校・高校・大学いずれのステージにおいても自身の「周囲との感覚の違い」みたいなものはうっすらと感じるものがあった。

 

しかし子の笑顔を見ていて涙ぐむ場面が、自分にだってある。自分は本当に「人の心を欠いた」人間なんだろうか?そんな人間に妻や子を愛することができるのだろうか?

 

いま自分が目指しているのは専ら脱サラである。僕よりも明らかに「社会不適合」度合いの高い、上司と喧嘩して辞職して独立した、そんな父を見習い自分もそのルートを辿るのが正解だと自分で自分に言い聞かせている面があるのかもしれない。

 

それでも自分を大きくは変えられない。

 

厳密に言うとある程度は変えられる余地があるぐらいの「社会不適合」度合いなのだろうが、それで大きな利潤が得られるかというとそんなことは無いと考えている。

 

仕事で多少出世が早くても別に数百万円ぐらいの高い給与をもらいながらそれ以上に心身を絞りつくす仕事をする必要がある。そういう意味では、今のままの思考でも良いのかもしれない。良くないのかもしれないとすると、それはこの考え方で人生を歩んで、どこかでそれが裏目に出た場合ではないだろうか。

 

自分が形成される過程において何が足りなかったのだろうか。

 

自分が育つ家庭において何か大きな傷を受けたとか、普通の人と違う目に遭ったというようなことは自分が思い出す限りは全く無い。ちょっと父親が怖かった・ちょっと家が貧乏だった・ちょっと気が弱くて他の子にいじめられることがあった、それぐらいである。誰にでもあるようなことで自身の価値観形成が曲げられたようなことはほぼ無いと思う。知らんけど。

 

後天的環境に要因を求めないとすれば、それは「生まれつきの変な奴」との結論になる。

 

生まれつきちょっと感覚が他の人と違う子なんていくらでもいる。それを矯正できなかったとすれば、他の子とどこに違いがあったのか。やはり家庭や友人関係などの環境の違いなのか、やっぱり自身が生まれ持ったものに因るのか(或いは矯正しなかった親に感謝すべきなのか)。

 

『結論を急がないブログ』

 

  • 誤字脱字を怖がらない、だーっと書く
  • 一話完結しなくて良い、どんどん続きを書けば良い
  • 1日[15]分限定とすることで各ハードルを下げる