昔から他の人と感覚が合わなかった。小学校の時・・・中学校の時・・・高校の時・・・大学の時・・・社会人になった今でも・・・。
いまの自分は普通の社会人をしている。何とか生きていけるぐらいには仕事をし、結婚もして幸運なことに可愛い子供も授かった。
周囲の人は自分のことを「少し変な奴」とは思っているのだろうとは認識している。会社の中でも少し変わった奴ぐらいには認識されているかもしれない。妻には自分のことを少し「開示」しているが、「本当にあなたのような人間には、子供にはなってほしくない」と言われる。
もしかすると自分に「社会不適合者」というラベルを貼っているのは自分自身なのかもしれない。
そりゃある程度は社会不適合である自信はある。そんなことは小学校に入ってすぐに理解した。小学校・中学校・高校・大学いずれのステージにおいても自身の「周囲との感覚の違い」みたいなものはうっすらと感じるものがあった。
しかし子の笑顔を見ていて涙ぐむ場面が、自分にだってある。自分は本当に「人の心を欠いた」人間なんだろうか?そんな人間に妻や子を愛することができるのだろうか?
いま自分が目指しているのは専ら脱サラである。僕よりも明らかに「社会不適合」度合いの高い、上司と喧嘩して辞職して独立した、そんな父を見習い自分もそのルートを辿るのが正解だと自分で自分に言い聞かせている面があるのかもしれない。
それでも自分を大きくは変えられない。
厳密に言うとある程度は変えられる余地があるぐらいの「社会不適合」度合いなのだろうが、それで大きな利潤が得られるかというとそんなことは無いと考えている。
仕事で多少出世が早くても別に数百万円ぐらいの高い給与をもらいながらそれ以上に心身を絞りつくす仕事をする必要がある。そういう意味では、今のままの思考でも良いのかもしれない。良くないのかもしれないとすると、それはこの考え方で人生を歩んで、どこかでそれが裏目に出た場合ではないだろうか。
自分が形成される過程において何が足りなかったのだろうか。
自分が育つ家庭において何か大きな傷を受けたとか、普通の人と違う目に遭ったというようなことは自分が思い出す限りは全く無い。ちょっと父親が怖かった・ちょっと家が貧乏だった・ちょっと気が弱くて他の子にいじめられることがあった、それぐらいである。誰にでもあるようなことで自身の価値観形成が曲げられたようなことはほぼ無いと思う。知らんけど。
後天的環境に要因を求めないとすれば、それは「生まれつきの変な奴」との結論になる。
生まれつきちょっと感覚が他の人と違う子なんていくらでもいる。それを矯正できなかったとすれば、他の子とどこに違いがあったのか。やはり家庭や友人関係などの環境の違いなのか、やっぱり自身が生まれ持ったものに因るのか(或いは矯正しなかった親に感謝すべきなのか)。