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離婚と慰謝料

離婚や慰謝料についてまとめています

離婚 慰謝料

離婚とは

概説

本来、婚姻とは終生の生活関係の形成を目的としています(故に離婚の予約は許されず法律上無効とされます)。しかし、実質的に破綻状態にある婚姻に対してまでも法律的効力の下に当事者を拘束することは無益で有害であると考えられていることから、今日ではほとんどの国の法制は離婚制度を有するとされています。とはいえ夫婦の一方の意思のみによって他方配偶者や子に苛酷な状況を生じさせることは妥当でなく、これらの者の保護のために離婚に一定の制約を設ける立法例が多いです。
離婚制度は有効に成立した婚姻を事後的に解消するものである点で、婚姻成立の当初からその成立要件の点で疑義を生じている場合に問題となる婚姻の無効や婚姻の取消しとは区別されます。離婚の類義語としては、離縁、破婚、離別などがあります。
なお、婚姻の解消原因には離婚のほかに当事者の一方の死亡(失踪宣告を含む)があり、講学上、「婚姻の解消」という場合には離婚よりも広い意味となります。

離婚の歴史

西欧における離婚史

前近代

古代ローマ法やゲルマン慣習法において離婚は比較的自由でしたが、中世に入ってキリスト教の影響のもとに西洋では婚姻非解消主義が一般化することとなりました。教会法における婚姻非解消主義は西欧における婚姻法制に大きな影響を与えたとされています。
レビ記21章には、祭司が子孫を汚すことのないために、「離婚された女」、「あるいは淫行で汚れている女」をめとってはならないとする規定があり、マラキ書2章16節にはイスラエルの神は離婚を憎むと記されています。
イエス・キリストは神の創造から夫婦は一体であり、神が結び合わせたものを、人が引き離してはならないと命じました。イエス・キリストは「不貞」、「不品行」、「不法な結婚」以外に離婚を認めておらず、離婚された女と結婚する者も姦淫の罪を犯すと教え、イエス・キリストのこのことばはカトリック教会でもプロテスタント教会でも、離婚を禁じるイエス・キリストの命令であると受け止められてきました。
ただ、現実には夫婦間に不和を生じて婚姻が実質的に破綻状態となる場合もあるため、教会法では離婚の否定を原則としつつ、婚姻の無効、未完成婚、別居制度などの方法によってこれらの問題の解決が試みられたとされています。

カトリック教会

ローマ・カトリック教会では教会法上離婚が存在しません。そのため、民法上の離婚をして再婚をした場合は、教会法上の重婚状態とされ、その罪のため聖体拝領を受けることが出来ず、性的に不能であった場合は結婚そのものが成立していないので、バチカンにはかったうえで婚姻無効が認められることがありましたが、これは離婚にはなりませんでした。
ペトルス・ロンバルドゥスの『命題集』4.31は、配偶者が姦通して離れた場合でも再婚してはならないとしています。

プロテスタント教会

ウェストミンスター信仰告白は相手が姦淫の罪を犯した場合にのみ離婚を認めています。潔白な方は罪を犯した配偶者を死んだ者として扱い、マーティン・ロイドジョンズも離婚が認められる唯一の理由は、相手の姦淫だと断言しています。モーセの時代の司法律法で姦淫は死刑になるため、離婚ではなく、死刑によって結婚が終了しました。
ジャン・カルヴァンは『キリスト教綱要』4篇19章「5つの偽りの聖礼典」の37「ローマ教会の婚姻に関する無意味な規定」で相手が姦通の罪を犯したために離婚しても、再婚してはならないとするローマ教会の規定を「迷誤を隠蔽」し専制を行っているとして批判しています。

近代以降

近代以降、西欧においては離婚の法的規律は教会によるものから国家によるものへと移行しました(婚姻の還俗化)。そこでも当事者の合意による婚姻の解消には消極的であり、配偶者の一方に夫婦間の共同生活関係の継続を困難にさせるような有責行為がある場合に限り、有責配偶者への制裁として、その相手方からの離婚請求のみを認める有責主義(主観主義)がとられ、現在でもカトリック教国でこの法制をとる立法例が多いとされています。
これは根本では「現在ある人間関係を維持する」ことを意識しており、同意のない離婚を事実上不可能にし、離婚の選択権を、離婚の原因(落ち度)の無い配偶者にゆだねています。これにより、配偶者が現在の人間関係を続けることを望めば、離婚できないようにしています。
その後、自由主義の浸透とともに1960年から1970年代にかけて欧米では次々と離婚法改正が図られ、夫婦間の共同生活関係が客観的に破綻している場合には離婚を認める破綻主義(客観主義・目的主義)への流れを生じるに至ったとされています。

日本における離婚史

前近代

日本では夫婦のまま長生きする「共白髪」を理想とはしながらも夫婦が分かれることも当然にあり得ることと考えられていました。また、西欧のように教会法における婚姻非解消主義の影響を受けることがなかったため、法制上における離婚の肯否そのものが議論となったことはなかったようです。
ただし、日本では離婚そのものは認められてきたものの、律令制のもとで定められた七出や三不去、また、後には三行半の交付による追い出し離婚など、いずれも男子専権離婚の法制であり、離婚権のなかった女性にとって江戸時代までは尼寺が縁切寺としての役割を果たし、一定期間その寺法に従えば寺の権威によって夫側に離縁状を出させる仕組みとなっていました。北条時宗夫人である覚山尼は鎌倉に東慶寺を創建して縁切寺法を定め、三年間寺へ召し抱えて寺勤めをすることで縁切りが認められるとしていました。また、寺院の縁切寺と同様に神社にも縁切り稲荷と呼ばれる神社が存在し、榎木稲荷(東京)、伏見稲荷(京都)、門田稲荷(栃木)が日本三大縁切稲荷とされています。妻側からの離婚請求が認められるようになったのは明治6年の太政官布告からです。

近代以降

明治民法の起草時においても離婚制度を設けることそのものについて異論は出ず、また、離婚の形態についても法典調査会で検討されたものの日本人は裁判を望まない気風であり協議の形で婚姻を解消できる制度の必要性が挙げられ、協議離婚を裁判離婚と並置する法制がとられるに至ったとされ、これには立法としては旧来の追い出し離婚を排斥するという意味がありましたが、社会的な事実においても当事者の自由意思による離婚が行われていたか否かという点については別の問題です。
日本の近代離婚法は旧法時から公的審査を要件とせず夫婦関係が破綻して離婚の合意さえあれば離婚しうるとしていたことから既に破綻主義的な要素を含んでいたとされ、この点は1970年代になって破綻主義が一般化した欧米諸国と比較すると驚くべき特徴とされています。

(引用・参考:Wikipedia)