皆様こんにちわ。

梅雨明けのはずが、雨でございます。
台風12号の進路予想が、急カーブして本州にやって来そうな気配に少々驚いております。

ところで、再度のお知らせです。
7月24日(金)は店内電話回線工事の為、臨時休業とさせて頂きます。
工事に伴い当日は電話が不通となります。
ご迷惑をおかけいたしますが、何卒ご了承くださいませ。



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆


さて、先の記事で「自分の事って意外と見えていないもんですね」と書いたのですが、本当にそういうもんだと実感しています。

私自身、自分の命盤や命式を見て、「やれやれ…難儀な人だわ。」と感じるのと同時に、そのような自分がいかに周囲の方々にお世話になっているかを思い知らされ、自ずと感謝を覚えます。

一人で生きているんじゃないことを教えられるんですね。
育てて頂いて今こうして生きていることがよく分かります。



鑑定にお越しくださるお客様方も、「自分がどんな人間なのかを知りたいです。」と仰るんですね。

認識できている自分像と、認識していない自分像とがあるようです。


私も紫微斗数の勉強を始めるまでは、「自分は正しい」と思い込んでいました。
我慢強いけれど、極めて頑固な人間性でした。


一生懸命生きてるのに、何もかも上手くいかない。
他の人よりもたくさん我慢してるのに、『普通の事』すら上手くいかない。

31歳くらいまでそんな風に思ってました。
いや、思い込んでいました。


『我慢の対価として願望の実現が手に入る』、手に入れる当然の権利があると信じていたわけです。



ところがそうじゃなかったんですね。



遂には望むことにすら疲れ果て、『望むことを放棄』しました。
一番手放したくなかったことを、自ら手放しました。

救われたいなどとも思いませんでしたし、癒されたいなんて感覚も、一切頭をよぎることもありませんでしたね。


そしたらあら不思議。

どうしたことでしょう。
結果的に楽になった上に、とても幸せな人生が向うからやって来ちゃったんですね。



その後、2~3年経ってから急に人生が動き出し、今の仕事をするご縁を頂いたんです。


私は元々、占いヒッピーでも占いマニアでもなく、完全なる素人でした。
携帯の占いサイトで運勢チェック、程度の。


それが何故か、決してメジャーな占術ではない紫微斗数と縁ができ、メイン占術をそれに決めたわけです。




実際に勉強を始めて命盤を見てみましたら、愕然と致しました。


何じゃこりゃ…。
酷すぎやしませんか?私の星…。
災難だらけじゃありませんか。
私以外を示す箇所にはとても良い星が集中しているのに、私の箇所には悲惨としか言いようがない並びじゃないか…。


何一つ上手くいっていないのに、何も形になっていないのに、自尊心だけは人一倍だった私は、脳天を撃ち抜かれた気持ちになりました。


でも、です。


命盤をしっかり見ているうちに、気付きました。



私以外の人たちを示す星がとても良いということを、羨ましいと思うのは大間違いだ、と。

この悲惨な星並びを持っている私が今こうして生きていられるのは、私以外の人たちの温情であり、愛であり、協力であり、サポートだったんだ、と。


こんなに破天荒で、アクも強くて毒だらけで、自分の事しか考えてなかった、どうしようもない私を、周囲の人たちがいつも気にかけ、心配し、支えてくれていたんだ、と。


なんて出来た人たちなんだろう、と。
私はなんてバカだったんだろう、と。




如何に自分が何も見えていなかったかを、思い知らされました。

それに気づいて、友達みんなに謝りました。

迷惑かけてばっかりで本当に申し訳ない。
思いっきり反省した。
それから、ありがとう。


そんな私に対して友達たちは皆一様に、「へ?迷惑?何が?何で?全然迷惑やと思ったことないで。」と言ってくれるではありませんか。


益々頭が下がる一方です…。


もし私が自分の命盤の本当の見方、命盤が教えてくれていることに気づかずに居たら、未だに周囲の人たちから向けられている愛情に気付くこともなく、不満たらたらで嘆いてばかりの人生だったと思います。



認めたくない自分の姿や傾向もシビアに映し出す紫微斗数ですが、そういう自分の姿をしっかりと認識した時に、初めて見えてくるものがあります。


それは、


自分への訓えであり、
向き合うべき課題であり、
戒めであり、
最も自分が感謝すべきことのヒントです。



命盤を通して自分という人間をしっかり見つめる作業の先にあるのは、感謝です。



一番見えていないのは、自分自身です。
知っているようで一番わかってないことが多いのが自分自身です。


自分が見えていないということは、自分を見失っているという事だと思います。
彷徨い続けるという事です。




紫微斗数は、本来あるべき姿や目指すべき姿を示してくれる、とても有効なツールだと思います。


皆様にも、紫微斗数を体験なさることでご自身の様々な面を認識し、自分を窮屈にしていた固定概念を棄て、今後の人生をより良く歩まれるきっかけを得て頂ければと願っています。