皆様こんにちわ。
お仕事の適性などをお知りになりたいと仰る方々が多いのは勿論のこと。
昨今では、何のために生きてゆけばよいのか、自分の役割が何なのかをお知りになりたいと仰る方々が増えております。
例えば私の生業は占い師なのですが、占い師を「やりたい」と思ったことは一度もありません。
けれども不思議なことに、「…やらなきゃ!」と思う縁あって占い師になりました。
占い師という生業で生計を立てている人の中には、個人の対面鑑定よりも学問としての才を発揮なさってらっしゃる方もおられます。
本当の『先生』ですよね。
理論は感性の裏付けとしている私のような者からすると、尊敬いたします。
どういうわけか、私の場合は自分の不安を解消するためにだとか、もっと幸せになりたいなどという動機で占いを勉強し始めたわけじゃなかったんです。
ただ、「やらなきゃ。やらなきゃ。」となんだかよくわからない感覚に突き動かされて突然勉強を始めた次第です。
それを証拠にと言っても良いかと思いますが、自分の為の開運などはあえてやったことがありません。
友達と旅行へ行くときに、「あ、そう言えばお客様方に吉方への旅行をお伝えしてるなぁ。じゃぁ、自分たちもやってみるか。」という程度です。
厄介な『幸せ願望』から解放されているからかもしれませんが、元々面倒臭がりだということもあります(笑)。
では何のために占い師をしているかと聞かれれば、
それはただ一言、
「自分を知れば道は拓ける。こんな私でも生きて居られるのだから、あなたも大丈夫。」と言いたいだけ。
私にとって占いは、それを伝えるためのツールに過ぎません。
自分が負であると感じていることをプラスに転じる為に、多くの人は「部屋のどこに何を置く」とか「○○のパワースポットへ通う」などの外部環境に頼ろうと考えます。
勿論、移転のアドバイスなどの際にそういう事はお伝えすることもありますし、その人に合うアイテムを活用するのも良いでしょう。
しかし、そうしたことを行う前にまずやるべきことがあります。
それは『徹底的に自分と向き合うこと』です。
この作業をせず、外的要因にのみ頼り続けても、根本的な開運にはなりません。
自分を知ることをしなければ、足るを知ることもありません。
生来、人は底なしに貪欲に出来ています。
もっともっと幸せに、もっともっと…、の繰り返しです。
徹底的に自分と向き合う事に関して、誰が正しいとか誰が間違っているとか、そいうことは問題にはなりません。
むしろ、そういう感覚が最も邪魔になります。
どんなに時間がかかっても、受け入れるのが苦しくても、自分が如何なる人間であるか、どうしてそう感じるのかを知る必要があります。
それを行わずしてただ幸せになりたいと願い、ひと時の幸せを得たとしても、後に虚しく失うか、泡の如く消えてしまうことになるでしょう。
生きていれば立ち直れないほどの不条理な事態に遭遇することもあります。
理不尽すぎる仕打ちを受けることもあります。
どんな理由を説明されても納得など一つもないことだってあります。
だから、
ただ、受け入れる。
それしかないことに気づくときがあります。
この「受け入れる」苦しい作業に、紫微斗数は有効なツールの一つだと思います。
私が自分の為に始めたわけではない占いの勉強、特に紫微斗数ですが、皮肉にも勉強をして知れば知るほど『自分という人間』が浮き彫りになりました。
授かった自分という人間を、人生においてどう活かしてゆけば良いのかも見えてきました。
適性は、どんな仕事に向いているかということですが、それが喜びに直結するとは限りません。
適性と目的がリンクしたときに初めて、喜びが生まれます。
この『目的』が自分の中で明確に認識できていれば、何をしていてもぶれるという事はなくなります。
その答えは外的要因ではなく、必ず自分自身の中に潜んでいます。
本当の意味で自分の心が喜ぶ事が、その人にとっての目的であり、世の中に対しての役割となります。
まだ何をしてよいか分からずにいらっしゃる方は、紫微斗数で自分を認識し、そのヒントが見えるかもしれません。
知っているようでわかっていない自分を知ってみてはいかがでしょうか。
お仕事の適性などをお知りになりたいと仰る方々が多いのは勿論のこと。
昨今では、何のために生きてゆけばよいのか、自分の役割が何なのかをお知りになりたいと仰る方々が増えております。
例えば私の生業は占い師なのですが、占い師を「やりたい」と思ったことは一度もありません。
けれども不思議なことに、「…やらなきゃ!」と思う縁あって占い師になりました。
占い師という生業で生計を立てている人の中には、個人の対面鑑定よりも学問としての才を発揮なさってらっしゃる方もおられます。
本当の『先生』ですよね。
理論は感性の裏付けとしている私のような者からすると、尊敬いたします。
どういうわけか、私の場合は自分の不安を解消するためにだとか、もっと幸せになりたいなどという動機で占いを勉強し始めたわけじゃなかったんです。
ただ、「やらなきゃ。やらなきゃ。」となんだかよくわからない感覚に突き動かされて突然勉強を始めた次第です。
それを証拠にと言っても良いかと思いますが、自分の為の開運などはあえてやったことがありません。
友達と旅行へ行くときに、「あ、そう言えばお客様方に吉方への旅行をお伝えしてるなぁ。じゃぁ、自分たちもやってみるか。」という程度です。
厄介な『幸せ願望』から解放されているからかもしれませんが、元々面倒臭がりだということもあります(笑)。
では何のために占い師をしているかと聞かれれば、
それはただ一言、
「自分を知れば道は拓ける。こんな私でも生きて居られるのだから、あなたも大丈夫。」と言いたいだけ。
私にとって占いは、それを伝えるためのツールに過ぎません。
自分が負であると感じていることをプラスに転じる為に、多くの人は「部屋のどこに何を置く」とか「○○のパワースポットへ通う」などの外部環境に頼ろうと考えます。
勿論、移転のアドバイスなどの際にそういう事はお伝えすることもありますし、その人に合うアイテムを活用するのも良いでしょう。
しかし、そうしたことを行う前にまずやるべきことがあります。
それは『徹底的に自分と向き合うこと』です。
この作業をせず、外的要因にのみ頼り続けても、根本的な開運にはなりません。
自分を知ることをしなければ、足るを知ることもありません。
生来、人は底なしに貪欲に出来ています。
もっともっと幸せに、もっともっと…、の繰り返しです。
徹底的に自分と向き合う事に関して、誰が正しいとか誰が間違っているとか、そいうことは問題にはなりません。
むしろ、そういう感覚が最も邪魔になります。
どんなに時間がかかっても、受け入れるのが苦しくても、自分が如何なる人間であるか、どうしてそう感じるのかを知る必要があります。
それを行わずしてただ幸せになりたいと願い、ひと時の幸せを得たとしても、後に虚しく失うか、泡の如く消えてしまうことになるでしょう。
生きていれば立ち直れないほどの不条理な事態に遭遇することもあります。
理不尽すぎる仕打ちを受けることもあります。
どんな理由を説明されても納得など一つもないことだってあります。
だから、
ただ、受け入れる。
それしかないことに気づくときがあります。
この「受け入れる」苦しい作業に、紫微斗数は有効なツールの一つだと思います。
私が自分の為に始めたわけではない占いの勉強、特に紫微斗数ですが、皮肉にも勉強をして知れば知るほど『自分という人間』が浮き彫りになりました。
授かった自分という人間を、人生においてどう活かしてゆけば良いのかも見えてきました。
適性は、どんな仕事に向いているかということですが、それが喜びに直結するとは限りません。
適性と目的がリンクしたときに初めて、喜びが生まれます。
この『目的』が自分の中で明確に認識できていれば、何をしていてもぶれるという事はなくなります。
その答えは外的要因ではなく、必ず自分自身の中に潜んでいます。
本当の意味で自分の心が喜ぶ事が、その人にとっての目的であり、世の中に対しての役割となります。
まだ何をしてよいか分からずにいらっしゃる方は、紫微斗数で自分を認識し、そのヒントが見えるかもしれません。
知っているようでわかっていない自分を知ってみてはいかがでしょうか。