皆様こんにちは。

こちら大阪は明日から急激に真冬の寒気が始まるようですね。
どなたさまもご自愛くださいますよう。

気付けば早、年の瀬。
来年の事をそろそろ聞いておきたいというご希望のお客様方が多くなりました。
そういう時期でございますね。

毎年12月、1月、2月はご来店のお客様が多数になり、当日のお申し込みを承るのが難しくなることが予想されます。

特に、土曜日と、平日夕方17時以降のご来店をご希望のお客様は、どうぞお早めにお申し込み下さいませ。
既に年内の土曜日はご予約が詰まってきております。

*年末年始は、12月30日~1月4日まで休業です。



さて、本日より師走ですが、わたくしにとって今年はご縁がかなり動いております。

私の星回りがそういうタイミングなので、勿論「だよね。」的な感覚で過ごしております。




どのような趣でご縁が動くのかは星回りによって異なります。

例えば『疎遠になる人が出てくる』という星回りが来ているとします。

この場合、当人と相手のどちらにその原因やきっかけが潜んでいるのかは、巡っている星で推察することはできます。

しかし、実際にその現象が発生して初めて、「あぁ、この人だったんだな。」と確認することになります。


例えば、友人なのか、同僚なのか、上司なのか、恋人なのか、配偶者なのか、そういうカテゴリに関しては星回りで現れるのですが、固有名詞まではわかりません。

命理学は魔法でもなければ、超能力でもありませんので。

四柱推命も紫微斗数推命も、推察の『推』です。


私個人的には、全てが分かることが良いことだとは全く思いません。
おおよその流れを把握するくらいがちょうどいいと思っています。


もし今後の全てを完全に知ることが出来てしまったら、人生はとてもつまらないものになるでしょう。


○○さんとは〇年〇月〇日に揉めて縁が離れる、と予め分かっていたとしたら、その出会いとご縁に対して物悲しい気持ちを持ちながら関わることになるんじゃないでしょうか。

ご縁があるうちは、めいっぱい誠意を持って向き合い関わる方が、きっとそのご縁から学ぶことは多いのではないかと思います。



離れるご縁があるという事は、入ってくるご縁も必ずあります。

意外な人と疎遠になったら、また意外な人とのご縁も入ってきます。
次のご縁が控えているから、卒業するご縁が出てくるんだと思います。

絶対に離れないというご縁はありません。
いつか必ず離れるもの、それがご縁です。

家族であってもお友達であっても恋人であっても、いつか必ずサヨナラをする時がやってきます。



それでも、また新たなご縁が向うからやって来るもの。
ご縁は離れる前提でやって来るにも拘らず、どうしたことか出会いは必ずやって来ます。

会うは別れの始めと云われますが、別れもまた会うの始めだと思います。


入ってくるご縁は、その時に自分に必要だから授かったご縁です。
しかも入ってくるご縁は選びようがありません。

自分が好む好まざるに関係なく、その時の自分に何かしらの学びを与えてくれるからこそ、向うからやって来るものです。




運勢的に見て、ご縁が入れ替わるタイミングは人それぞれにございます。

生来、目まぐるしくご縁が入れ替わる方も多くいらっしゃいますし、普段は割と固定したご縁でも、ある一時期にごっそり入れ替わるというパターンをお持ちの方もあります。


いずれにしてもご縁の入れ替わりは必要だからこそ起こることなので、流れのままに身を委ねていたほうが良いでしょう。


反対に、どうしても動かしたい、離れたい環境であるにも拘わらず、足元をセメントで固められたように身動きが取れない運気に遭遇することもございます。

これは大変に苦しいことです。

どういうわけか思うように物事が進まず、不遇にあえぎながらもただ耐えることしか出来ない状況に置かれることは、本当に苦しいことです。

苦行と言ってもいいでしょう。


そういう時は、周囲を見る余裕はありません。
どうして自分だけこんなにも苦しいのだろうと、奥歯を噛みしめ涙する日々です。

しかしこれもご縁の一つであることを覚えておいていただきたいのです。


環境も仕事もご縁です。

必要なないご縁など、端からやって来ません。
必要だから嬉しくないご縁も苦しいご縁もやって来るのです。

修行としてのご縁であり、その苦しみを経なければ得られない心、喜び、感謝があるからです。


今にあえいでいらっしゃる方にとって、一日一日はひどく長く感じられ、朝が来ることさえも妬ましくなります。


けれども必ず時は前にのみ進み、状況が変わる時がやって来ます。


変化した環境も、結局はご縁です。

人との関わりだけがご縁ではありません。
環境も組織も社会も、全て一人一人の複雑なご縁の絡みの集合体であり、意識はしないけれども、縁があるからそこに居るわけです。


その場所でやらねばならない役割があるからでもありますが、もっと言えば、その状況下でしか体得できない新たな自分や、捨てるべき心のあり方が自分の中にあるからこそです。


我慢も辛抱も努力もなしで安易に投げ出すことは賛成しかねますが、あまりにも理不尽でどうしてもどうしても耐えがたく、このままそこに居たら死んでしまうというくらい苦しければ、今すぐに逃げ出すことも放棄することも良いと思います。


その選択が間違っていなければ、間をあけず清々しい風の吹く環境へ導かれるはずです。


それが新しいご縁となるはずです。


そしてそのご縁を得た時、きっとそれまでの自分では気づかなかった感謝や喜びを感じることでしょう。


当たり前のように物事が進むことを、とても有難く幸福に感じることが出来るでしょう。


苦しみの最中、自分しか見えていなかったあの時の自分を、周囲の人が心を痛めて見守っていてくれたことに気づけることでしょう。



ご縁が目に見える形で入れ替わるタイミングは人それぞれですが、その都度、喜びも悲しみも授けてくださるのがご縁です。



そこに気づいて生きている人は、自ら善きご縁を多く引き寄せていらっしゃいますし、難儀なご縁は長続きせず離れていきます。



生別でご縁が入れ替わることは嘆くべきことではなく、むしろ新たなご縁を得るために、そして自らを鍛え成長させるために不可欠な出来事だと思います。