私の子供の頃、というと、数年どころか数十年になってしまいますが、
その頃は塾といえばそろばんかお習字程度、
お友達の家には弟妹を連れて行く事が珍しくありませんでした。
家から自転車で15分程度離れた場所へ一人で遊びに行き、
夕方のチャイムで暗くなる少し前に家に帰る。
遊ぶ場所は所有者のはっきりしない空き地や原っぱ。
野の草を摘んでおままごとをしたり、色水を作ったり、ゴム飛び、人形遊び。
絵を描くとなれば「こんな風に描きましょう」などという人もなく、
思うままに好きなものを、好きな色で描く。
遊ぶ友人がいない日は、ひまだなあと空を眺めて時間をつぶす。
もちろん、当時だっていろいろ制約はありましたが、
思えばなんとも長閑な時代でした。
子供たちはとても忙しくなって、ヒマな時間が減ったように思います。
ヒマな時間、というのは、する事がない時間、という意味で。
する事がなければゲームをする、テレビを見る、お勉強をする。
誰かがそばにいて、何かを提供してくれる。
その原因のひとつに、大人の目の届かない所で子供たちが悲惨な事件に巻き込まれるニュースが増え、子供だけの時間が減った事があるのではないでしょうか。
私はひまな時間、不相応に高尚な言い方をすれば哲学をしていました。
もちろん、本格的なものではありません。
花はなんで咲くのだろう。風はどこから来るのだろう。季節はなぜめぐるのだろう。
地球の裏側は夜で、ちょうど家があって、子供がベッドで眠っているかもしれない。
宇宙は広がっているというけれど、その先には何があるのだろう。
蟻が並んで歩くところ、蜂が渡るぶーんという羽音、たんぽぽの茎の白い汁のべたべた。
雨が降る前のかたつむりの匂い。
そういう小さなひとつひとつは、世界と私のかかわりの始めだった気がします。
サトクリフの本を読みまくったのは、ケルティック文化に興味を持った頃。
「イルカの家」はそういった、ローマやケルトの古い歴史ではなく、
大航海時代の家族と職人たちや、子供たちのお話。
その場で出会った大人たちが、当然のように愛情を持って接する日常。
子供だけの冒険、周りが見えなくなるくらい夢中になるごっこ遊び。
想像し、自分で判断する事、身近な人に優しくする事、される事、夢を見る事、希望を持つ事。
そうして、のびのびと育っていく子供たち。
子供たちが自分のペースで、一人で世界と関わり、
ひまな時間を持つ事が贅沢な事になってしまったんだとしたら、それは本当に悲しい事。
私たち大人のできる事が、何かあればいいのだけれど。
- イルカの家/ローズマリー サトクリフ
- ¥1,785
- Amazon.co.jp



