はぁ・・私にとって暇はストレスでしかない。


暇、暇、暇。


忙しい時は休みたい、暇が欲しいと思うのに、いざ暇ができると不安でたまらない。


暇だと落ち着かない。休んでる自分に罪悪感さえ覚えてしまう。


ならどうすればいいのだろう。



只今うつだと思います。

もう過食嘔吐がやめられない。

今日こそは、と毎日過ごしてきたが何度挫折してきたことか・・・

もう何度試みても無駄。

普通に食事できるようになってきたと思えば、過食衝動に襲われ、また吐く。

もう自分は希望もなにも失ってしまった。

周りに迷惑をかけるだけの邪魔な存在になってしまった。

自分は生きている意味はあるのか。

自分を偽って生きるのがつらい。

これはただの甘え、怠慢であることを知っている。

だからなおさら自分はクズだと思う。

本とうに馬鹿だ。

死んだほうがいいのかな。

こんばんは。トーマスです。

今宵も静かに時が過ぎていく。

最近、今生きているという実感が湧かない。

無情にも時だけが流れ、足下が浮いている状態だ。

生甲斐を感じるためには、まず何をすれば良いのだろうか。


それは、人の為に何かをすること。

「一日一善」というように、一日に一回でもいいから人の為に何か奉仕をする。

私は先日、実に感動した出来事があった。


ある日、信号の近くを歩いていると、青年がおじいさんに付添信号を渡っているのを見た。

そのおじいさんは杖をつき、うまく歩くことができないため、信号が点滅し始めても横断歩道の半分も渡り切れていなかった。そこへ同じく横断歩道を渡っていた青年が信号が赤になっても渡れ切れないおじいさんに付添、信号待ちしている車に頭を下げながら一緒に渡っているではないか。


このように、人の為に何かをするということは、相手にとっても有難いし、自分にとっても気持ちがいい。

それは誰の為であってもいいのだ。自分の身の周りにいる家族や友人、恋人でもいい。

地域住民でも職場の人でもいい。誰かの為に何かをしてほしい。

今の現代社会に生きる人々は奉仕の精神を忘れ、自分本位で利己主義、エゴイストで溢れかえっている。

人間の本性というのは快楽主義であり、楽な方へと流れるようになっている。

しかし、自分さえよければそれでいいというのは間違いだ。

確かに、この競争主義社会の中では、自分の利益を最優先させなければ生き残れないのかもしれない。

どの民間企業もそうだ。この時世を読み、自分の営業利益を考えなければ当然潰れるし、自分自身の生活もかかっている。

もちろん表向きはそれでいいだろう。ただ、私生活の中での利己主義はどうだろう。

私生活が利己主義では、共生は不可能だ。

やはり、自分の殻だけに閉じこまらずに、まずは身の回りの人のために何かしてみるべきだと思う。

そうすれば自分の価値観も変わり、生甲斐も感じることができるはずだ。


私は「一日一善」をおススメしたい。