怪物への序幕

怪物。。。これこそダービー前
2002年のクラッシックを席巻していた、タニノギムレットにふさわしい名前です
2歳、夏。ダート1000mでデビューを飾った、タニノギムレット、牝馬に負け2着
この記事によると、折り返しの新馬戦を四位騎手で予定していたけど<そうやったんか
都合がつかず。。。そのうちソエが出て来たので、放牧に
(のちには軽い骨折があったとか言われてたけど、不明???)
12月22日阪神、未勝利戦で圧勝し
私は京都に住んでて、未勝利戦をラジオで聞いてたんですよね
本当にタニノギムレットの文字が全然出てこなくて(一番人気でもなかったし
でレース終了。。。。。。。。。。。。タニノギムレットが勝ちました<オイオイ(@_@)
アナ。。。。。。。。。どこに目つけてん(#`ε´#)
その後KBS京都で、今日の午前中のレース結果をするので、みましたが。。。。。。。。。
圧勝やんか~~~~~~サワタケ。。。ではないな、ラジオですから
その後、年明けのシンザン記念に。。。。。。。これがまたイマイチ優勝馬が弾けない重賞で
週初に発売された、競馬ブックでは。。。ほとんど印がなくて。。。1勝馬ですから
当日発売のブックでは。。。。。。。。印多し でしたね
人気は一番人気。。。それほどあの未勝利戦はインパクトありましたよね
その頃は

松田調教師もテンション高めでしたね
この先毎月重賞を走るわけですが
日刊スポーツ、スポーツニッポン、サンスポ と全部新聞の冠の付いたレースで
冠がついてると、扱いが大きくなりますからね。。。選んでましたよね調教師
ダスカとはえらい扱いが違ってて。。。。。。と思っちゃいますよね(-。-;)
まぁ~でも。ダスカと戦ってるときにだって
ウオッカの写真が、調教師の部屋に飾ってありましたからね
話題になってて(ほんまかいな)と思ってたら インタビューの時、しっかり写ってて
本当だった。。。多分ダービーの時のパネルだと思う
気が向いたら、続く
02年ダービー前

伊藤雄二先生はまだ、現役調教師だったころ
きっぱり!
タニノギムレット
きゃ~~~ステキ 男前!
とこのころは思ってた、私
ウオッカの時は蹴飛ばしてあげたかった、双方、競馬の法則ですわよ
とは言え、競馬ブックの馬柱

グリグリの大本命やんか~~~
あの頃のタニノギムレットは。。。一番強い。。。しかし運がないと言われてた

ブライアンズタイム贔屓の私。。。
この新聞写真をいつまで、取ってるんだろう、左シルクジャステス、右エリモダンディ
97年?菊花賞前の追い切りの頃の写真
最高410k台しかなかったエリモダンディ、小さい頃からいじめにあってて
でも同父、同厩舎、同い年、のちの有馬記念馬、シルクジャスティスが庇ってくれて
ジャスティスが大好きだったエリモダンディ、いつも一緒に御稽古
ジャスティスの後を付いて歩いて、間に馬が入ると、激怒、みなそれを知ってて、気を遣ってたらしい
小さいけれどファイター
ダービーは2着と4着。。。。優勝はサニーブライアン
ダンディは武騎手に乗り替わって、京阪杯、日経新春杯と連勝、直後骨折判明
武騎手ひとりのウイナーズサークルだった
一週間後くらいに、腸ねん転で天国へ。。。だから今でも、日経新春杯は嫌
エアグルーブ、マーベラスサンデーを破って3歳で有馬記念馬になったジャスティス
その後すぐ、ダンディが亡くなって
ジャスティスも勝つことがないまま、競走馬生活を終えました
いろんなシンパシーあった2頭だったんだろうな


