1964年10月 自動車の新聞広告 | tnkaust(田中良次)のブログ

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宜しくお願い致します。

 

1964年10月 自動車の新聞広告。

 

1964年10月の朝日新聞。

1964年10月は東京オリンピックが開催された月です。

その時の新聞を保管していましたが、終活で一部写真に写して

パソコンに保管して、新聞は処分しました。

その中から、当時の自動車の広告を登載させていただきました。

 

日産自動車。

フェアレディ、今ではフェアレディZに名前が変わりました。

¥89万円。1500ccで80馬力エンジンで毎月海外に200台輸出

されていると、広告に書かれていました。

 

日産自動車。

サニーは、トヨタ自動車のカローラとライバル的な自動車でした。

カローラの名前は今でも残っていますが2004年に無くなりました。

我々夫婦が初めて買った車は2ドアのサニーでした。

¥41万円。最高速度133Kmで世界有数のラリーで優勝したと

広告に書かれていました。

 

トヨタ自動車。

パブリカ、1961年6月から1969年4月まで販売された自動車です。

エンジンは697cc空冷水平対2気筒対向OHVのU型エンジン、

最高出力28PS/4,300rpm最高速度110kmでした。

価格は¥39万円。

 

日産自動車。

ブルーバードは、トヨタ自動車のコロナの対向車でした。

ダットサンブルーバード1959年8月から2001年8月まで販売されました。

1500cc65馬力で最高速度145キロで4速フロアーシフトでスポーティーに

なりました、むかしはコラムシフトが多かったです。

価格は¥65~71万円。9月の国内登載台数が8,933台で2位との差は

4,000台を超え、二倍強と開く一方ですと広告に書かれていました。

 

今では考えられない物が付いていました。

一輪花さし、傘立て、ハイヒールスタンド、コンセント、オルゴール付

方向承認器。

 

三菱自動車。

ミニカ、三菱重工業株式会社、新三菱自動車販売株式会社。

当時は三菱自動車は新三菱重工業から三菱重工業になりました。

ミニカは1962年から2011年まで販売されました、360㏄空冷2サイクル

エンジンでした。

積み荷は300Kgで、ビール1ダース箱なら20個、食パンなら300斤

積めると広告に書かれていました。

 

富士重工業。

スバル360、富士重工業は現在は株式会社SUBARUです。

スバル360は1958年から1970年までのべ12年間に渡り、

約39万2,000台が生産されました。

価格は31~34万円。空冷2ストローク直列2気筒・356ccエンジンを

車体後部のエンジンルームに横置き搭載されていました。

フォルクスワーゲンのビートルとよく似た軽四輪自動車でした。

私が16歳の時に軽四輪限定の免許書を取った時に、実地試験は

スバル360でした。

 

日野自動車。

コンテッサ、日野自動車がルノー4CVのライセンス生産で得た

経験をもとに開発されました、1961~1967年まで生産されました。

直列4気筒893ccで35馬力の乗用車でした。

今は日野自動車は、トヨタ自動車の連結子会社でトヨタグループ

16社の1社です。

トラックとかバス業界の最大手ですが、むかしは乗用車も作って

販売されていました。

 

プリンス自動車。

グロリアは1959年から2004年までグロリアの名前で販売されました。

1966年8月12日に日産自動車に吸収合併されてから、日産自動車の

セドリックの姉妹車として販売されました。

父の会社は乗用車はグロリアを乗っていました、その当時グロリアを

1台購入するとソニーポータブルテレビがサービスに付いて来ました。

プリンセス自動車では1975年4月24日にプリンス・スカイラインを

販売しました。スカイラインの名前は未だに残っています。

日本で商売をしていた時には、スカイラインGTR用オプション工具で

舶来工具を納入した事が有りました。

 

1964年10月 自動車の新聞広告。

 

今思えば懐かしい乗用車ですが、その当時はカッコ良い車ばかり

でした、新車が出ると興味を引く車が多く有りました。

その当時、軽四輪のスバル360で30万以上していました、庶民では

まだまだ手の出ない価格でした。

むかし子供達が居た頃は車が5台有った時も有りました、今では

1台有りますが乗る事が少なくなって来ました。

 

車も時代と共に変わって行く事を感じます。