3月16日久留米井筒屋の解体工事が着工しました。
小学生のころ休日はほとんど友達と久留米の歴史を勉強するために久留米井筒屋に行っていました。久留米井筒屋の閉店の数週間前には事務所まで行かしてもらって井筒屋のオープン(旭屋当時)から閉店に至るまでの今までを勉強させてもらいました。しかし屋上に上がってみると経営が芳しくない状況が当時小学生の私でも分かりました。かつては、屋上は出店小さい遊具などがあったそうです。しかし大型商業施設が出来てきてデパートの需要がなくなり人の足がどんどん少なくなったそうです。そのためデパートの屋上には子ずれの客の姿がなくなり屋上には遊具などがなくなったそうです。その遊具の残骸などは屋上の端っこに山ずみにしてありました。その他屋上には老朽化が目立っていました。タイルは剥がれ増築した所のつなぎ目は浮き上がりといった状況でした。老朽化や人の足が減って経営が赤字になった為2009年2月18日閉店となったのです。しかしその跡地の問題が上がり2011年久留米市は総合コンベンション施設の建設を決定したのでこうして解体工事が始まったのです。
小学生のころ休日はほとんど友達と久留米の歴史を勉強するために久留米井筒屋に行っていました。久留米井筒屋の閉店の数週間前には事務所まで行かしてもらって井筒屋のオープン(旭屋当時)から閉店に至るまでの今までを勉強させてもらいました。しかし屋上に上がってみると経営が芳しくない状況が当時小学生の私でも分かりました。かつては、屋上は出店小さい遊具などがあったそうです。しかし大型商業施設が出来てきてデパートの需要がなくなり人の足がどんどん少なくなったそうです。そのためデパートの屋上には子ずれの客の姿がなくなり屋上には遊具などがなくなったそうです。その遊具の残骸などは屋上の端っこに山ずみにしてありました。その他屋上には老朽化が目立っていました。タイルは剥がれ増築した所のつなぎ目は浮き上がりといった状況でした。老朽化や人の足が減って経営が赤字になった為2009年2月18日閉店となったのです。しかしその跡地の問題が上がり2011年久留米市は総合コンベンション施設の建設を決定したのでこうして解体工事が始まったのです。