
ここ数日、毎晩同じような夢を見ている。
それはいつも、柔らかな午後の光が差し込む、静かな静かな教室から始まる。
何の科目かもわからない、退屈な授業。チョークが黒板に削られる音がコツコツと響くほか、時間の流れを示すものは何もない。
私以外の生徒は、全員眠ってしまっているのだろうか。ひょっとしたら、この教室には、私しかいないのかもしれない。
そんな静寂を切り裂くように、突如LINEの着信音が響く。
――仕事だ。
LINEのメッセージには、一人の人間の名前と簡単なプロフィールが記されている。これが、この日の「ターゲット」なのだ。
授業が終わると、私は体育館のロッカールームに向かう。
「開かずのロッカー」と呼ばれている、鍵が紛失した一番左のロッカー。実はその鍵は私がもっていて、この学校で私だけが開くことができる。
そして、普段は何も入っていないこのロッカーに、「仕事」が入った放課後だけ、「依頼主」がある物を密かに置いていくのである。

それは、一丁の拳銃。
私は弾丸が一発だけ入ったこの拳銃を手に、ターゲットを追いつめるのだ。
ターゲットは、悪徳政治家やブラック企業の社長、弱者を食い物にする医師や弁護士……まるで二流ドラマの悪役みたいな顔ぶれだが、とにかく私が狙うのは、決して許されざる悪党ばかりだった。
正義の味方というわけではないけれど、社会悪を闇に葬る「仕事」の痛快さに、夢の中の私は高揚していた。おかげでここのところいつも、目覚めると口元が緩んでいるのだった。
放課後の暗殺者。かっこいいじゃない。

「それさぁ、なんか欲求不満とかあるんじゃないの? こわいわあんた」
N美が、私の弁当箱のソーセージにさりげなく箸を伸ばしながら言った。
「いや、そうじゃないから。なんというか、正義感というか」
答えながら私は弁当箱を引いてN美の箸をかわすと、彼女が狙っていたソーセージを口に放り込み、続けた。
「――今の世の中に対する、ギフン? そういった何かのあらわれなわけよ。きっと」
「ギフンて何だ……てか毎朝人殺して、よく気分良く起きれるよね。あたしだったら気持ち悪くてへこむわ絶対」
「うん……実は、殺してはいないんだけど」
「え?」
そう、殺してはいない――正確には、殺すところまでは見ていない。
夢の中での私は、(セーラー服というあまりにも目立つ姿にもかかわらず)決して誰にも見つかることなくターゲットのオフィスや自宅に侵入し、背後から確実にターゲットに照準を合わせ――、一発で心臓を撃ち抜く。
その瞬間、銃声の代わりにけたたましいアラームの音が、頭の中を埋め尽くすほどの大音量で鳴り響き、私は目を覚ますのであった。
「なんだつまんない……結局アレだ、最初に仕事が入ったときのLINEの音が最初のアラーム音なんじゃないの。で、あんたがスヌーズを何度も止めて、最後にめちゃめちゃ音が大きくなったときが、ピストル撃った瞬間だ」
「う……まぁ、その通り、かな……」
「起きろよ最初の指令で」
「そこで起きちゃったら悪を見逃すことになるでしょ」
「はぁ。……じゃ、さ。あいつを始末してよ」
教室の窓から校庭を見下ろしたN美は、神経質そうな表情であたりを見回しながら歩いている、ジャージを着た小柄な男を、箸で指し示した。体育教師のTだった。
「あいつ? なんで」
「尻、触られた。2回も」
「マジ? 誰かに言った?」
「言った、S先生に。でも本人に白を切られた」
「それは殺るしかねえな」
「頼むよ、社会悪だよあいつ」
「わかった。確実に仕留めるわ。――今夜の夢で」
私が「放課後の暗殺者」の顔になって力強く宣言したとき、昼休みの終わりを告げるチャイムが、ぼんやりした午後の空気を震わせていった。

気がつくと、私はいつものまどろみの中にいた。
クリーム色のカーテンがふわりと視界を横切る。耳に届くのは、チョークのコツコツという音だけ。私はいつの頃からか、この時点で自分が夢を見ていることをなんとなく自覚するようになっていた。半分夢だと意識しながら、これから起こることを楽しもうとしているのだった。
メッセージが届く。
予想通り、そこにはTの名前があった。N美の依頼だ。いつものターゲットに比べたら格段に小物だが、依頼を受けた以上、プロフェッショナルとしてクールに仕事を遂行するだけだ。

放課後、私は体育館のロッカールームに向かった。
左端のロッカーを開くと、そこにはいつものように、紙袋に無造作に突っ込まれた拳銃が用意されていた。
それを手に取った私は、倉庫のすぐ脇の体育準備室を目指す。いつもは国会の議員会館や麻布の高級マンションに潜入していただけに、今回は楽で助かる。制服で歩いていても不自然じゃないしね。もっとも、どこに忍びこんでも不自然と指摘されたことはなかったけれど。これが夢のいいところだ。

あたりに人の気配がないことを確認しつつ準備室を覗くと、ターゲットのTはタバコを喫いながら書類を繰っていた。校内は禁煙だ。やはりこいつは許せない。
正義感なのか使命感なのか、よくわからない熱さがこみあげてくるのを感じながら、私はゆっくりと拳銃をTの背中に向け、撃鉄を起こした。
「先生……」
ぽつりとつぶやいた私の言葉に反応して、Tがピクッと体を動かした瞬間、
「さよなら」
クールに言い放って、引き金を引いた。
パンッ
乾いた音が響き、同時にびっくりするような反動で右腕が跳ね上がって、重心を失った私はその場で思い切り尻餅をついた。
「痛っ」
下半身に鈍い痛みを感じながら、私は気づいた。
アラームが鳴らない。
あたりは静寂に包まれていた。あれ? また、止めてしまったんだろうか。
音のかわりに、匂いを感じた。子供の頃、草むらで遊んでいたときによく嗅いだ匂いだ。草の匂い。……いや、違う。
ふと、Tを見た。
頭を向こうに向け、うつぶせに倒れている。
背中の真ん中あたりから、トマトジュースのような赤黒い液体が、流れ出ていた。沸騰したお湯が、ヤカンの蓋の隙間から噴き出すのに似ているな、と思った。
私はおそるおそる立ち上がり、もう一度Tを見下ろした。
首が、変な角度で曲がっていた。
銃弾を受けた勢いで壁に叩きつけられたんだろうか。
冷静に判断している自分が不思議だった。同時に、頭の芯がどんどん熱くなっていくのを感じてもいた。
「なによこれ……もういいよ……長いよ今日……もう起きようよ……遅刻しちゃうから……」
自分に言い聞かせるように口に出して言うけれど、じょじょに大きくなる体の震えは、もう止められそうにない。
アラームはいつまでも、鳴らなかった。

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