最後の最後まで、takは石巻の現在を私達に見せてくれた。

雨で、ボランティア活動が出来ないので、友人の知り合いがいる仙台に向かった。

仙台駅周辺は、石巻と比べて、何も無かったかの様な状況だった。
なんか、戦後からタイムスリップしたみたいな感じがした。

宿泊先を探して、遅めの昼食。
お腹も満たされ、チェックインしたけど、寝れなかった。

私の携帯アプリ「なまず」は、めっちゃ鳴ってる。
アラームが鳴る度に、揺れる。
石巻は、地盤が弱ってるせいか、車が走ってる所は
常に、揺れているので、その揺れが身体に染み付いてしまい
仙台に来ても、常に揺れていた。

なんとか寝れるかも。と思ったのは、夜中の3時半・・・
次の日の天気を調べて、晴れる事が分かったので
友人達と相談をして、何が何でもボランティア活動をして帰る事にした。

翌朝の天気は、晴れ。

ボランティア活動は、石巻まで戻って行うつもりだったが
仙台から近い、岩沼市は、ボランティアが少なくて困っている。
との情報を友人が入手して行く事にしたが・・・
晴れていたので、「ボランティアの方に沢山来て頂いて、閉め切りました。」
と言われてしまった。
片っ端から、V.Cに連絡をして1カ所、受け付けている所を見つけた。
多賀城V.C。
完全装備をして、活動に取り組んだ。

何人かでグループを組み、リーダーの指示を受けて作業をする。
行った先は、美容室の泥出し。
家の壁には、津波の時の水位がハッキリ残っていた。
泥に混じって、ガラスや木があった。
怪我をしない様に、慎重に省いて
泥をスコップで、土嚢入れに入れる。

依頼主のおじさんは、とても明るくて優しい方だった。
休憩時間には、ボランティア同士の情報交換をした。
震災して間もなく、ピースサインをして写真を撮る輩がいた!
と言って怒っていた。
現地の人の中には
ボランティアがある事を知らない方。
ボランティアを頼むと、お金が掛かると思っている方もいる。
まだ、手付かずの市や街は、沢山ある。
1日で、家を完全に綺麗にする事は難しい。

ある程度、綺麗にした家を見て、おじさんは、とても喜んでくれてた。
その顔を忘れる事は無いと思う。

短時間だったけど、お手伝いが出来て良かったと思う。

今年のゴールデンウィークは、大型連休とあって
多くの人が、ボランティア活動をしに行く。
私も、参加する予定だったが
その時期に、集中してもV.Cが、ボランティアの振り分けに困るし
掃除の道具や移動の車にも、限りがある。
そして、車の渋滞も予測されている為、日を改める事にした。

ニュースでも、取り上げられたけど
早くて、1ヶ月以内に、大きな地震が来るらしい。
これ以上、被害が大きくならで欲しいけど
自然には、決して勝てない。


私は、これからも出来る範囲で、お手伝いをして行きたいと思う。
そして、「これからも必要な物があれば言って!」と言って
今回、協力してくれた仲間に感謝したいと思います。

まだ、再会出来ていない方が沢山いると思うと心が痛いです。

これが、夢なら良いのに。と思う自分がいます。

追伸
写真を撮らせて頂きましたが、敢えて写真を載せるのを辞めておきます。
4月22日(金)の夜、2人の友人と共に東京を出発して、宮城県石巻市に行って来ました。

このブログを見て、文句を言われてもいい。
偽善者だと思うなら、それでも別に構わない。
私は、自分が感じた事を全て書くつもりです。


今回、宮城県に住む友人takから、避難所生活以外の人達(親戚宅、自宅での生活者)は
思う様に物資が行き渡らない状況で、衣服が無い!と聞き
すぐ、友人に助けを求め衣服の調達をしました。

友人達は、色々な手段で、沢山の衣服などを集めてくれました。
そして、22日(金)に、レンタカーを借り物資を詰め、2人の友人と宮城県に向かいました。

宮城県に入った辺りから、道路と風景が少しずつ変わっていった・・・

まず、一番最初に向った場所は、石巻の高台にある日和山公園。
高速を降りて見た街は、私達から言葉を奪った。
道路は、横転してもおかしく無いぐらいボコボコで、真っすぐ走る事が不可能。
道の端には、津波で被害にあった家の畳や廃棄物が沢山あった。
日和山公園に向かう道は、車が走る事は可能だが
津波が来た時と変わっていない状況だった。
そして、日和山公園に着き
そこで見た風景は、悲惨な光景だった。
TVで見た映像が、頭の中でループしていて
言葉が出なくなった。

今回、物資を届ける以外に
自分達に出来る事があればやって帰ろう!と、決めていたので
石巻災害ボランティアセンターに向かった。

しかし・・・

23日は、強い雨が降っていたので
ボランティア活動は、中止になってしまった。

石巻災害ボランティアセンターでは、テントが張れるスペースがあり
泊まり込みでのボランティアの方が沢山いた。
外国人ボランティアの方も、沢山いた。

takと連絡を取り、物資を届けに行った。
物資を全て下ろし終えた所で、takが女川を案内してくれる事になった。

漁港付近の片付けは、ボランティアでは不可能なので
自衛隊の方達が、一生懸命に片付けをしていた。
言い方が悪いかも知れないけど
被害の範囲が広いから、切りが無い作業。
片付けをしている人達の事を思うと胸が痛かった。

そして、漁港が見渡せる所から見た光景は
正直、戦後。
以前、takがブログで自慢していた景色は、そこには無かった。
ショックが大きかった。

津波が来る前は、あった道が完全に消え
津波の高さと強さが、ハッキリ見て分かった。

避難場所になっている、高台に案内してもらったが
そこは、先月のままで、手付かずの状況だった。
高台から、海までの距離は結構離れているのに
目と鼻の先まで、津波が来たのが分かる。

takは、精神的に疲れているのにも関わらず
「実際に、見てみないと分からない事があるから!」って言ってくれて
私たちに色々な場所を案内して説明をしてくれた。

ここで、事細かく状況を書いても、正直、伝わりにくいと思う。
実際に、自分の目で現場を見ないと分からない。

今でも、道路には沢山の物が散乱してる。
ボランティアの助けが必要な家が沢山ある。


東日本大震災が起きてから思う事がある。
「頑張って!」
って言う言葉は、軽々しく言って欲しくない。
震災で、被害にあった方達が、お互いを励ます為に、頑張って!
って言うのとは、訳が違う。
あの状況を見て、何を頑張れって言うのか・・・
私には、理解出来ない。
被災者の方は、明日が見えない状況で
1日1日を、懸命生きてる。
復興の目処を立てても、瓦礫が片付かないと難しい。
海の中にも、沢山の物がある。
反対の立場だったら、「頑張れ!」と言われた時点で
今後の付き合いを考えると思う。
3月11日に発生した東日本大震災により
亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げますとともに
被災された皆様、そのご家族の方々に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。



何を書いて良いのか、良く分からなくて

ずっと悩んでた・・・

この1ヶ月の間、東京に住んでても

色々な事があり、考えさせられました。

でも・・・

下を見て歩くんでは無く

上を見て歩いて行く事を決めました!

友達が居なかったら、未だに凹んでたと思うし

周りの仲間たちに、助けられたお陰で

私は、自分の出来る範囲で人の役に立ちたいと思えた。

とわ言え・・・

未だに、震度5以上の地震が各地で起こってる。

そして、今日は各地で冷たい雨と雪が降ってて

海は、満潮を迎える。

みんな、いつ何があるか分からないから

気を付けてね!

私は、仲間の助けを得て

出来る事をやるつもりです。

別に、文句言われても、いいよ!

だって、後悔したくないもん!



今日と明日は、雪が降ってて寒いと思いますが
体調を壊さない様に、気を付けて下さい。