地震の日、義理両親は都内にいた。東京散策していた。
午前11時から散策、そして被災、そのまま歩いて、朝の3時半に帰宅できた。
義理の両親は16時間歩いた。
若者達は足を引きずり、時には力尽き座り込んでいる人も見たそうです。
連絡を取りながら何度も迎えに行くといったけど、断られ続けました。車より歩く速度が早かったそうです。
道沿いの民家は、「トイレかします」と張り紙がしてあったり、アメを配って応援してくれる人々もいたそうです。
そして都内で飲食店を経営している兄。
帰れない人々が次々に入店し、朝まで満卓状態で店を開けていたといっていた。
最後のお客さんが出て行き、時計を見ると18時間も働いていたそう。自分の食料調達に町にでると、
お持ち帰りのみ入店可能という牛丼やに驚いたそうです。なんと、店内の飲食は断っていたそうです。
大手の牛丼やが、随分冷たい行為と感じたそうです。
中で休めない人たちが、隣のコンビニの中でで立ったままじっとして朝を待っていたそうです。女性1人も何人かいたそうです。
コンビニには水も食料も無かったそうです。
本当に大変な状況でした。
人のやさしさに触れたり、冷たさを目の当たりにしたり、凄く複雑ですね。
以前仙台とは電話が繋がらず、メールも長いと全文受信出来ない、なかなか受信もこないそうです。
従兄弟の会社に電話しても繋がりません。
盲目の伯父はどうしているんだろう。
グーグルの人探しに登録しましたが、被災地にいる人に、それを見ることが出来るのかも疑問だ。