反回神経をきちんと温存して、甲状腺を切除するというのが外科医の使命です。しかし、私たちも人間ですので、間違いは必ず起こします。間違って神経を糸で縛ってしまったり、切断してしまったりすることがあります。もちろん手術初心者が起こしやすいミスですが、ベテラン医師も起こしてしまいます。

 

 反回神経の太さには個人差はありますが、だいたい1㎜くらいです。男性のほうがやや太く、女性は細いことが多いです。

 

 反回神経は、声帯を動かす神経だと割り切りましょうと書きましたが、本当は多くの役割があります。声帯を動かす神経(声帯運動枝といいます)のほかに、喉頭の知覚にかかわる神経、気管や食道を支配する神経が枝分かれします。本当はすべての神経の枝を残すことができればいいのですが、実際にはそうはいかないので、声帯運動枝だけは最低限残すように手術が行われています。声帯運動枝が最も太いことが多いので、喉頭に向かう神経の中で最も太いものを温存すればよいということになります。しかし、声帯運動枝以外の枝が太いと、誤ってそれを運動枝と判断し、実際に残すべき運動枝を切断してしまうことが起きてしまいます。

 反回神経麻痺が両側に起こるとどうなるでしょう。以前、片側の麻痺の場合を説明しました。片方の声帯が閉じ気味の状態で動かなくなり、息を吸おうとしても開いてくれません。これが両側で起こるのです。息を吸おうとしても、声帯は開きません。つまり息ができません。声帯間の隙間が少しでもあれば何とか呼吸はできますが、かなり息苦しいでしょう。窒息して命を落とすこともあります。

 

 両側反回神経麻痺は、特発性(原因不明)で起こることはかなりまれです。手術操作や腫瘍などによるものがほとんどだと思います。

 

 両側反回神経麻痺となった場合、どうしたら良いのでしょうか。呼吸困難をきたしていることが多いので、すぐに気管切開を行って、気道を確保します。両側麻痺が治る見込みがなければ、気管切開は永久的に必要となります。気管切開は行わず、気道を広げる手術を行う場合もありますが、気管切開のほうが気道確保は確実です。片方でも麻痺が治れば、また呼吸できるようになるので、気管切開は不要となります。気管切開の状態では、気管に開いた穴にチューブを入れていますが、それを抜去すると穴は自然閉鎖します。自然閉鎖しない場合は、穴を閉じる手術を行います。

 これは40歳代の女性の声帯です。あまりきれいな画像ではありませんが、ご了承ください。

 

 これが声帯です」の記事と同様、この画像は鼻から細いファイバースコープを挿入して撮影したものです。向かって左側が、患者さんの右側になります(向かい合って撮影するのでこのような向きになります)。

 

 声を出したときにはこのようになります。声帯が閉じて、その隙間から空気が流れて、声になります。一見すると以前の記事と同じ感じですが...

 

 息を吸ったときに撮影したのがこの画像です。中央付近にあるV字型の白い部分が声帯です。この画像では披裂部(黒丸の部分)が左右対称ではありません向かって左側、つまり患者さんの右の披裂部が動いていません。右の声帯は吸気時に外側に広がってくれません右声帯麻痺です。

 

 この画像は、甲状腺右葉の腫瘍術後に撮影したものです。手術では右の反回神経はきちんと温存できたのですが、何らかの理由で麻痺が起こってしまったようです。

 反回神経が麻痺するとどうなるか。反回神経は左右にあります。片側だけの麻痺の場合と、両側の麻痺の場合で状況は大きく異なります。

 

 片側だけの麻痺の場合、片方の声帯が動かなくなってしまいます(声帯麻痺)。声帯は閉じ気味の状態で動かなくなり、息を吸おうとしても開いてくれません。ただし反対側の声帯は開いてくれますので、気道は保たれます。

 

 私たちは声を出すとき、声帯間の隙間をできるだけ狭くして発声しています。しかし片方の声帯が麻痺してしまうと、左右の声帯の隙間が広がってしまいます。すると、発生時に吐く息が余分に流れてしまい、良い声が出ません。かすれた声になり、一息で話せる時間も短縮してしまいます。

 

 声帯が動かなくなっても、あまり発声に影響しない方もいます。このような方は、声帯が正中付近で止まっており、発声時にも声帯間の隙間が狭くできるため、声には影響が出にくいのです。

 

 反回神経麻痺では、発声が障害されるだけではありません。嚥下困難になったり、水分や食べ物がむせやすくなったりしてしまいます。食べ物が肺に入ってしまうと肺炎を起こしてしまい、命にかかわることもあります。特に高齢者では、ただでさえ嚥下能力が落ちていますので、術後の反回神経麻痺では食事摂取に苦労することも多いようです。

 良性腫瘍では、術前に声帯麻痺があった場合、腫瘍が同じ側にあったとしても腫瘍によるものかどうかの判断は難しいです。良性腫瘍による麻痺は比較的まれであり、特発性の反回神経麻痺が併存している可能性が高いと思われます。

 

 対応が難しいのは、良性腫瘍の術前に、手術する側と反対側の声帯麻痺があった場合です。例えば、甲状腺右葉の結節を手術する予定で、左の声帯麻痺があったとします。もし手術操作で右側の声帯麻痺が起きてしまうと、両側声帯麻痺となります。またあとで記事にしますが、両側声帯麻痺は非常に危険です。良性腫瘍なら手術を急ぐ必要はないので、しばらく経過観察(半年から1年くらいを行って、もともとあった声帯麻痺が回復するかどうかをみてから、手術をするほうが安全でしょう。

 

 このことは悪性腫瘍の場合にも言えます。甲状腺がんの悪性度の低さは何度も記事に出てきますのでお分かりだと思いますが、多くの場合、手術を急ぐ必要はないのです。手術する側と反対側の声帯麻痺があった場合、経過観察して回復するかどうかを待っても遅くはないでしょう。もちろん悪性度の高い腫瘍が疑われる場合は、長く待たずに手術を行います。