こんにちは TMSのMaiです
日本はまだお盆真っ只中でしょうか 今日1日お仕事してまたお休みという方もいらっしゃるでしょうね。
こちらはフィリピン・・もちろんお盆休みはございません 私の場合、こちらでそれを思い出させてくれるのは“まにら新聞”でした・・・。
昨日、日本は68回目の終戦記念日を迎えましたね。この時期になると、子どもの頃からよく見た戦争映画やニュース、蝉の声を懐かしく感じます
お恥ずかしい話、私は今回の終戦記念日を前にするまでフィリピンでの戦線についてあまり知りませんでした。
そして初めて知りました。ここフィリピンでも毎年慰霊祭が開かれ、多くの方が参列されていることを・・。
中でも目を留めたのは、当時のフィリピン大統領、エルピディオ・キリノ氏の恩赦令の記事。
当時、フィリピンBC級戦犯裁判で死刑や有期刑を宣告され、モンテンルパ刑務所に服役していた100人を超える日本人戦犯に対し、ちょうど60年前の7月に恩赦令を出したというのです。
この事実だけなら流し読みをしてしまいそうな一説なのですが、なんと恩赦令を出したキリノ氏の家族、戦争末期に一般市民10万人が犠牲になったと言われるマニラ市街戦で妻子4人を日本兵により虐殺されたというのです。末の子はまだ2歳でした。
そのキリノ氏の下した恩赦、彼の実の弟・アントニオ氏の影響もあるようですが、当時、賠償交渉が行き詰まり、キリノ氏が戦犯を利用して金儲けをしているという噂が流れたり、日本の助命運動など、様々の状況下の中、「カトリック教徒として相手を赦すべきだ」、「助けられた日本は恩義を感じてフィリピンを支援するのではないか」と恩赦の決定を促したというのです。
大変胸を打ちました。大切な家族を一度に失ったキリノ氏にとって、苦渋の選択だったと思います。「将来の比日関係を見据え、対日憎悪の連鎖を断つことの大切さをフィリピン国民に示し、日本国民はフィリピン人の痛みへの理解を促した」と記事にはありました。この「赦し」があったからこそ、現在の親日感情があるではないでしょうか・・。
先日もとある島へ旅行に行った際、日本人が大好きだという一人の女性に出逢いました。偶然にも同い年で話に花が咲いたのですが、彼女曰く、日本人は皆礼儀正しく、友好的であるというのです。島のカフェでウエイトレスをしている彼女は、訪れた日本人客に教わった日本語を流暢に使いこなします
60年前、フィリピン人が「赦し」の手を差し伸べてくれ、私たち日本人の先代の人々が紡いでくれた友好関係に感謝し、そして、海外に出た時に、日本人であること認識してきちんと応対している国民性にも感謝しています
私はよく彼女の様なフィリピン人に出逢うのですか、そんな時、日本人である自分を心から誇りに思います。
海外に出て、生活をしてみて、改めて日本の良さを感じ、日本を恋しく感じる一番嬉しい瞬間です。
私たちも先人に恥じぬ様ここで生き、そしてこれからの子どもたちにもその誇りを伝えていきたいと思います。
現在、フィリピンの経済は急速に発展し、大きな成長を遂げようとしていますが、まだまだ田舎にいくとこの成長を忘れてしまうような出来事に出会います
日本企業がどんどん進出し、日本人は増えている今だからこそ、私たち一人ひとりが意識を持ち、小さな支援が大きな発展へ繫がるよう、今度は私たちが手を差し伸べていきたいものです
今日は季節柄、私が感銘を受けた比日の歴史を紹介しました
上手くお伝えできたかはわかりませんが、これからの未来を作る私たちが、過去を見るのではなく、受け止め、これからも良い関係を築いていきたいと感じました。と締めくくらせていただきたいと思います。
皆さんの心にも私が感じた、フィリピンの人々の温かい気持ちが届いていると嬉しいな
次回はまたフィリピンの経済情報をリポートしますね
それではまたっ
By Mai