この際、ベルギー?REムスクロンからオファーを受けていたが、代理人からの説得を受けて[18]2001年8月、FC東京へ完全移籍[19][20]。しかし東京では、1トップにアマラオが入る布陣が採用されていた[注 1]ため[14]、福田は左サイドハーフ(SH)という不慣れなポジション[1]に配された[14][17]。同年MBT 月、トルシエ率いるA代表候補に選出[21]。2002年は監督交代の影響もあって先発から外れていたが、練習に打ち込む真摯な姿勢は若手選手から慕われ[22][23]、同年J1?2nd第14節浦和戦のVゴールなど印象に残るプレーでサポーターから愛された[23][24]。同年12月、チームが天皇杯を控える中、ムスクロンへ短期留学[25]。翌2003年より東京に復帰したが、チーム事情よりも自身の希望を優先したために[18]ポジション争いの序列からさらに後退してしまった[14]。
同年8月、負傷したマルコスに代わる攻撃の核を求めていた[14]ベガルタ仙台から熱烈なオファーを受け[23]、仙台へ完全移籍[26]。しかし先発出場の機会は少なく、同年チームはJ2に降格した。