今日は小学生の頃のお話をさせていただきます。

小学生低学年の頃は、母親が一人でいるのが怖いと言い…

何故か私だけ休まされそばにいましたキョロキョロ

父親には内緒で休み

父親が仕事に行くときは子供部屋に隠れて出ていったら母親の近くに…

その時の母は優しかったんですおねがい

でももちろんずっと休み続けているのもおかしいもの…

お店をやっていたこともあり学校から父親に連絡がいき休んでることがバレてすごく怒られました‼️

私が…笑い泣き

母親は知らん顔をしていましたショボーン

兄は普通に学校へ行けて何故私は行けないのか?と思ったことはありましたが、母が優しいことが嬉しかったんです照れ

それから学校へ行けるようになりました❗️

それから私はバレーボールを始めました‼️
運動は好きだったので楽しかったです✨

私には大好きなおばあちゃんがいました❗️

おばあちゃんは私にすごく厳しくて、学校から帰っても洗濯をたたんでからしか遊びに行けなかったり…

母親が何もできなかったので女の私にはちゃんとできるようにと思っていたのだろうなぁと思います。

その思いに当時は気づけず反発したりもしていましたショボーン
何よりどんな親でもそのときは母親が大事で母親の悪口を言われることがすごく辛かったです。

でもおばあちやんが私が六年生の時大腸癌の末期だと…もう永くないと聞かされた時、おばあちゃんの大切さがすごくわかり入院したとき
機械がいっぱい繋がれてるおばあちゃんを見たとき本当に心の底から代わってあげたいと思い大泣きしたことを覚えています。

おばあちゃんは中学一年の時に亡くなりました。

亡くなる前に私にセーラー服を買ってくれてそれを抱き締めて泣いたことも覚えています、

一つ悔やんでいることが…

入学式の日、朝おばあちゃんに制服姿を見せたくて行ったのですが、スヤスヤ寝ているおばあちゃんを起こすことが出来ずに入学式に行き一番の晴れ姿を見せることが出来なかったことがあの時起こしてでもみてもらえばよかったといまだに思います!

でもなんとか制服姿は見せることができたのでよかったかな?

でも大好きなおばあちゃんを失いすごく辛かったです。

私の小学生の頃の夢はお嫁さん。

世界一温かい家庭を作ることが願いでした。

おばあちゃんに私の子供(孫)を見てほしかった…

きっとすごく喜んでくれたはず…

すごく可愛がってくれたはず…

結婚して田舎に嫁ぎやってこれたのはおばあちゃんの厳しい躾があったからの賜物爆笑

結婚してより一層おばあちゃんに感謝しています。

ありがとう😆💕✨

おばあちゃん照れ

最後に小学生最後の想い出…

卒業式の前日に両親が喧嘩⁉️

父親がコップを母親に投げつけ母の口が切れて大出血⁉️

もう卒業式には行けない…

と、思いましたが…

行けました…

そこに唇をポンポンに腫らせた母親が来てくれたんです❗️

それだけは鮮明に覚えています。




私の父と母は

父は昔喫茶店をしていて

母はバスガイドでした。

父は昔からギャンブル狂いでお店の釣り銭までなくなるくらい使ってくる人で

ずっと借金との戦いでしたガーン

精神的な病気は遺伝するのか
母親も精神的に弱い人でした。

そして母親は8人兄弟の末っ子?とゆうのもあってか壊滅的に家事ができない人で…
家事も子育ても全然できない人でした。

なので小さいときからずっと夫婦喧嘩が絶えず、父は暴力も振るう人だったので、いまだにガシャーンとゆう音で目が覚めるとゆうフラッシュバックがありますショボーン

そして、家は田舎なので兄が大事(長男で男の子)で雲泥の差がありました。

女はいらないと言われ…

母親には
あんたさえおらんだら…と何度言われたことかわかりません。

母親に何かしてもらった覚えもほとんどありません。

父親はどちらかと言うとわたしを可愛がってくれたのですが、それも母親には気に入らず余計に兄を大事にしていまし、父親は麻雀にいくのでほとんど家にはいませんでした。

なので私はずっと一人で、なぜ私は生まれてきたんだろう…と思って育ってきました。
生まれてごめんなさいとも思ってきました。

喫茶店をしてきたお陰か叔父叔母やいろんな知り合いの人に預けられ可愛がってもらってきたと今は感謝できますが、昔は私がいい子にしてないと誰も相手にしてもらえないと思っていろんな思いを我慢して生きてきました。

多分それから病気の始まりだったんだと思います。

借金取りに怯える日々。
明日食べるものがないかも?とゆう恐怖
いつまでひとりぼっちなんだろうとゆう気持ち…

すっかり物音や夜(暗くなること)が怖くなり電気をつけて、音がないと眠れなくなったのが小学生の頃です。

幼いながらも覚えてること

保育園に預けられていたけど何度も迎えを忘れられてもう迎えに来てもらえないんじゃないかとゆう不安と最初優しかった先生たちも回数が増えるごとに迷惑になって辛くあたられたこと

お弁当箱と箸箱を洗ってもらえずカビがはえて自分で流し台に椅子を運び初めて洗い物をしていたこと…

忘れられません。

これが幼少期の私でしたガーン