介護老人保健施設で生活をしている72歳の父。
私の父は、2014年10月24日に大動脈解離A型で、仕事帰り家に帰る途中緊急搬送されました。
私達家族が病院へ向かった時には、一分一秒を争う油断出来ない状態でした。
しかし奇跡的に、病院の先生方達のお陰で、父は生還する事が出来ました。
今は解離の後遺症により、脳梗塞で車椅子生活にはなってしまいましたが、生きてくれている事に日々感謝しています。
そしてとても元気です。
約6年前の手術から退院後、リハビリ病院へ入院しリハビリを始める時は、「もぅ自発的にご飯を食べれる様になる事は今のままではかなり難しいでしょう。リハビリをしてもかなり厳しいと思われます。脳梗塞で言語障害、高次機能障害等起きてるので、このまま会話は難しい。寝たきりになる可能性も覚悟はしていて下さい。」と言われていました。
しかし父の頑張りとリハビリのお陰と、何より父を助けてくださったリハビリ施設の先生方始め、手術で命を助けて下さった先生方、そして看護師さん達のお陰で、ここまで回復する事が出来ました。
今でも私達家族は心から感謝の気持ちでいっぱいです。
今は新型コロナウィルス感染防止の為、父の入所している介護老人保健施設に入る事は、1階事務所の方に洗濯物の受け渡しのみになってしまいましたが、施設の方の優しさで、4月中旬頃から、1階事務所からの3分間の電話を、施設2階にいる父と会話をすることを、許可してくれました。
車の免許を持っていない母は、自粛と国から言われる前は、1日置きにバスに乗り父の元へ行き、家で入れた温かいコーヒーを水筒で持参し、2時間ほど父と何気ない平和な会話をしに通っていました。
母も父が施設に入ってしまってからは、父と母が一緒に暮らしていた頃は、良く喋り良く笑う明るい母だったのが、父が病気になってからは、落込みが激しく全く笑顔が無くなり、笑う事すら1年間はほとんどしなくなりました。
しかし父の奇跡的な回復によって、母も父と同じで、元気な元の良く笑う母に回復していってくれました。
今は母は一人暮らしになったので、1日おきの2時間の父とのコーヒータイムを楽しみに、バスと徒歩入れて45分の施設まで、今まで通っていました。
しかし現在は、声しか聞けない3分間の電話でも、声だけでも聞ける幸せを噛み締めて、私は約3年前に近くに引っ越してきたので、自粛期間の今は、施設で出た父の洗濯物の受け渡しに行く為、2日おきに車で母を施設まで送っていき、その時に父と母と私と3分間だけ電話で会話をしに行っています。
そしてもちろんすぐ帰宅しています。
父と母は電話で、
「会いたいね。私もお父さんの顔が早くみたいよ。コーヒー一緒に飲める日まで、お互い会えなくて寂しいけど、一緒に頑張ろうね。」と必ず伝えあっています。
3月1日〜4月中旬頃までは、施設の自粛という事で、声すら聞く事が出来ませんでした。
なので、今は母はちょっとでも父の声が聞けて、父も母の声が聞けて、3分間がとても嬉しそうです。
確かにコロナ自粛は辛いです。
しかし、この3分間でも2人の会話を横からコッソリ聞いている娘としては、たかが3分間と思うか、されど3分間でもお互いの声が聞けると有難いと感謝するのか…
私はこの3分の電話が、この短い時間でも、相手を思いやり思い合う事を、こんなにもお互いを愛おしいと思い合う事を、コロナ自粛ですごく勉強させてもらっています。
私も父に会いたいです。
でもこの自粛期間で、顔が見えない相手を、声で言葉で伝える大切さを、人を思い合うことの大切さを学ばせてもらいました。
コロナ自粛辛いけど、親のお陰でとても温かい気持ちになっています。
しかし、1日でも早いコロナ終息を切に願います。
おうちで過ごそう…
私も家族と共に頑張ります!