朝は、必ずやってくる。ー産後うつを乗り越え、ASDっ子と生きる再挑戦ママの記録ー

朝は、必ずやってくる。ー産後うつを乗り越え、ASDっ子と生きる再挑戦ママの記録ー

「陽キャ/フッ軽」女が、出産を機に重度のうつに。
さらに、誕生した娘はクセ強可愛い自閉っ子。
涙したり試行錯誤したりな日々を、局アナ時代に鍛えた「言葉の力」で笑いと希望に変えていくリアルな記録。

娘の幼稚園卒園の日が迫ってきている。
親である私は、このところ、
入園当時の写真を遡って見てみたり
過去の日記を読んだりして、ひたすら感傷に浸っている。

あんなに小さくて頼りなく見えた娘は、
あっという間に、小学生になる。

娘も、母も、泣いた日々

3年間の幼稚園生活。
振り返れば、決して、楽しいことや喜ばしいことばかりではなかった。

いや、はっきり言って、私にとってはしんどい時間のほうが多かった。

幾度となく、娘に訪れた「行き渋り」。
楽しく通っていたと思ったら、
ある日突然、猛烈に登園を拒否し始めるのだった。

園でトラブルがあった訳でもない。
娘に理由を聞いても
「怖い!行きたくない!」と答えるばかり。
お迎えの時には決まって笑顔だったから、
連れて行けば、結局は楽しく過ごせていることは分かっていた。

分かっていても、毎朝辛かった。

起きると、開口一番
「今日、幼稚園行く?」と、娘。

「行くよ。」と返すのが怖かった。
「嫌だ!!!」と暴れ出すのが目に見えていたからだ。

その後、籠城の如く、リビングから一歩も出ない娘を
必死に説得する日々。
娘を送り出すために「外で仕事をしている」と嘘をつく罪悪感。

なんとか登園できたとしても、
私にしがみつく娘の手を無理矢理離し、
大声で泣き叫ぶ姿を前に踵を返す瞬間は
何にも変え難い苦痛だった。

どうにもならずに休ませた日も少なくない。
その度に、「これで良かったのか」と自問した。
人との関わりを不得意とする娘。
成長のチャンスを奪っていないかと考えるたびに
不安で胸が押しつぶされそうになった。

娘はたくさん泣いた。同じくらい、私も隠れて泣いていた。
朝が来るのが怖かった。
何が正解かわからなかった。

多くの助けを受けて

園の先生方は、朝、娘が安心して私と離れられるようにと
一生懸命工夫を凝らしてくれた。
療育の先生方は、娘を送り出す私の罪悪感を無くそうと
幼稚園生活の意味や、そこで得られることの大きさを
何度も私に説いてくれた。

そうして支えてくれる人たちを信じ、
私自身の親としての感覚や判断を信じ、
日々、娘と向き合い続けた。

そんな周りの思いを汲み取るかのように
娘自身も成長していった。

登園時の不安を言葉にできるようになり、
その不安への対処法を身につけられるようになり、

気づいた時には、毎朝自然と園に足が向き
私とも笑顔でお別れできるようになっていた。

娘の「一言」が、全てを報いてくれた

卒園式まであと2週間を切った頃。
娘のクラスで風邪が流行り始めた。

そんなある朝、珍しく娘が咳をしていた。
心配になって熱を測ると、いつもの平熱。
「熱はないよ。」娘に伝えると、こんな言葉が返ってきた。

「今日、幼稚園行ける?」

「行く?」ではなく、「行ける?」

その小さな言葉の違いに含まれた大きな大きな変化を
私は見逃さなかった。

「行ける?」と聞くということは、
娘は、幼稚園に「行きたい」のではないか?

私が
「このまま様子を見て、咳がひどくならなかったらマスクして行こうか。」
と答えると、
娘は
「うん!」
と笑顔で言った。

その瞬間、確信に変わった。娘は、幼稚園に「行きたい」のだ。
あれだけ、登園を渋って泣いていた娘が。
私は泣きそうなくらい嬉しかった。

3年間、娘を送り出し続けた私に伝えたい。

毎日、迷いながらも出し続けた答えは
全て、ここに繋がっていたよ。
娘のたった一言が、ちゃんと全て正解にしてくれたよ、と。

私は今、こう考えている。

「子どものことを想って、想って、悩んだ末に出した答えは
必ず正解になる。」

これはあくまでまだ仮説。
答えが出るのは、子育てが一段落する未来のことだろう。

証明できた暁には、またこうして「今」の私に伝えにこよう。

きっと、そんな未来はあっという間にやってくる。


〜おわりに〜

このブログを訪れて読んでくださった皆さん、
本当にありがとうございました。
アメブロは、ここで一旦区切りにします。

うつについて、ASD育児のリアルについて、
わたしの大学再受験の挑戦について…
これからはnoteの場で、さらにさらに深掘りしていきます。

ぜひ、次からはこちらでお会いできたら嬉しいです!