大学も終わり「肉食いたい」って言ってたのでスーパーで買いものをしていたらkriss mariaの彼女からメールが届いた



「krissから変なメールが届いたけど大丈夫かな?」



内容を転送してもらうとそこには彼女への感謝の言葉が書かれていた



と言うか遺書だった



…あぁ、これはマズいなと思ったので即大阪で待ち合わせ曽根崎警察署へと向かった




警察の対応はこうだった



まず、捜索願というのは親族しか出せないから親族に依頼してくださいというもの



これは法律で決まっている事だから仕方ない事だとは思う




切迫している状況であるということをもう少し考慮して欲しかった



何をどう説明してもよくあることで片付けられてしまう



というか親族でもない自分たちの無力感が半端なかった




本当に何も出来ない



krissにはほとんど親戚と呼べる人がいなかった



両親は彼が幼いころに離婚



兄弟はいない



母と二人で高校まで過ごしてきたのだ




そんな母も彼と同じ双極性障害


そんな母に「息子さんが自殺したかもしれません」などということを伝える訳にはいかなかった



自殺者の後ろには約10人の自殺志願者がいる



何かがきっかけでそのスイッチが入ってしまう



それがウェルテル効果というもの




そういう負の連鎖だけは絶対に避けたかった





仕方がないと言うか手段が他に思い当たらなかったのですぐ父のほうに連絡



父方はkriss mariaが23になったときに初めて話をしたというくらい彼の人生にかかわりのなかった人でした


また別に家庭を持っている人でもあったのでどのくらい力になってもらえるかわかりませんでした



でも、捜索願はしっかり出してもらえた





曽根崎警察でのやりとりのあとmixiを開いたらkriss mariaが日記を書いていた





それがこれ


本名以外全文そのまま載せます



Ladys and gentlmen.. I want to burn out better than fade away.he.he..

The-life-is-Chaos.

Love-is-Dead.
我生不可解也

I like everyperson however the Love in human confused me. Its not-for-enough-for-me--the-maximum-love.

Thank you for everyone.
Thank-you.

拍手を..喜劇は終わった。





運命は決まっている
決してあがなうことはできない。ただ愛だけはそれに立ち向かえるものであるが

運命が永続的なものであるのに反して

愛は断片的過ぎる、燃え上がる一瞬の灯火に過ぎない
生まれついて持ち得た運命に敵うものではない

そう簡単に
勝てるものではない




私がショックであったことは世界に永遠が無いことだ
愛という希望はあった

ただ

全ては移り変わる
人の気持ちにも
永遠なんて存在しえない

愛さえ
現実と運命の前では無力だ。


それが現実だ





俺は
自らの意思で自分の人生に幕を下ろすことにした。


2007年4月13日金曜日


今まで会った 全ての みんなに ありがとう。



24年間 楽しかったよ





せめて綺麗なままで死にたい この気持ち分かってもらえないかな

もう何も失いたくない




雑誌、喧騒
テレビジョン



あそこに写っている世界が全てだと考えるな

世界は混沌としている

神すらも存在しない


死は唯一の解放であり
生に対する特効薬である





この輪廻の中で
人間として存在する
必要性はあるのか





食欲性欲
これ以上 犠牲を 増やして まで生きたくない
誰も殺したくない 傷つけたくない
牛 豚 鳥 動物にも死への葛藤があるだろう 彼らを犠牲にするのももう終わりにする 異性を惑わすのももう終わりにする










弱肉強食



この世の真理である


ただな
強者ですら弱者になりえるから注意しろ、弱者になれば淘汰されるぞ。







俺の夢?



地獄の国盗り だよ



この精神力 気力 知力で 閻魔大王をも覆す







悲しい人もそうでない人も

ただ 君たちより
先に行くだけなんだ




何も悲しいことなんてない
遅いか 早いか だけだろ

俺に対してのハナムケの言葉は悲しみじゃなくて
感謝かなぁ...

ハハハ..感謝してねーか






みんな、涅槃で待ってる。

これはさよならじゃない。ただ還るだけなんだ。



俺はすぐ側にいるよ。















kriss maria

享年24歳

ガンガンいこうぜ

全てを捨て去ったところに男の値打ちがある

精神障害者だろうが犯罪者だろうが 俺が 君のこと 好きなら バックグラウンドなんて一切関係無い

みんな愛してる
俺は世界を愛してる







これを見たときに「あぁ、もうダメだ」という後悔とか自責とかもうなんかよくわからないけどとにかく取り返しのつかない事をしてしまったんだという気持ちになった




この日の夜は親友が「とりあえず家に来い」と言ってくれたので親友の家に行った



それしか覚えてない



家に行ったことしか覚えてないんだ



だけど、もうダメなんだということはわかってた





2007年4月13日


彼は自分の人生に自分で幕を下ろした




次回はもっと時間を遡って出会いから書いていこうと思います

時は2007年の4月13日の金曜日


よく晴れた朝だった


目覚めると前日にした鬼のような喧嘩が嘘のように爽やかな顔して出かける準備をしていた男がいた


kriss maria



彼の名前はkriss mariaとしておこう




長い手足に優しい笑顔



とにかく頭の回転は速かったが内部の構造はとてもシンプル



対人に関して全力で接する「お国柄、性別、年齢、学歴、経歴そういうバックグラウンドというフィルターを排除して人間を見る。」が口癖で誰よりも人間くさく、またその言葉に嘘はまったくなかった…少なくとも俺と過ごした時間の中ではなかった









「今日出かけてくるわー。大阪の友達のところ。」



kriss mariaが珍しいことを言い出した




何が珍しいかと言うと彼は当時双極性障害という病気に悩まされていた




簡単に言う躁うつ病




その日その日(いや、何時間ごとか)によって気分は移り変わって行きテンションが高いときは手がつけられないくらい高く低いときは手がつけられないほどに低い状態になるアレ




前日までテンションの低い状態が続いていたので少し驚いた



けど「まぁ、たまには俺じゃない人と会うのも気晴らしになるかなぁ。てゆか自分から何かしたいって言うならそれはさせてあげたいな。」という気持ちがあるので普通に「あぁ、そう。珍しいね。行ってきなよ。ゼミ初日だし俺行けないけど。」と返した



本来なら一緒に行きたかったというか一緒に行くのがセオリーというか…





この病気の厄介なところはとにかく出来る限り誰かと一緒に過ごしたほうがいいというところ




とにかく感情の波が激しい




極端な話をすれば操状態のときは「一晩で100万使ってきた!楽しい!超楽しい!!!」という自分の楽しみのために我を忘れて没頭してしまうって状態でそれはそれで問題だし鬱のときは何も出来ない状態になってそれはそれで問題




よく「死んでしまいたい。死のうかな。」とか言う人がいるけどそれはまだ思考が止まってないだけまだ気力がある状態


「死のう」という気力さえ起こらない状態が俺が見た(あくまでも素人が目の当たりにした)この病気の末期だと思ってる



そういう時は本当に人形のように動かなくなって寝ているだけになってる





そんな中での「出かけたい」というのは少々不安があった



でも「これ借りてくで!オシャレして出かけたい!」と言って俺の持ってたnumber (n)ineのニット(かなり高価なものでkriss mariaも高価なものだと知ってる)着ていったし何食いたい?って聞いたら「肉!」と元気に返してきたから「まぁ、これならちゃんと帰ってくるだろうなぁ」と思ってひとりで出かけさせることにした



俺も大学入って始めてのゼミでゼミ初日から休むわけにもいかないという事情があったので一人で行かせた





その時はあんなことになるとは思わなかった





むしろ出かけてみようと思ってくれたことが不安な反面「少し調子が上に向いてきたかな?」と思って少し嬉しいとすら思ってた





とても晴れていた神戸の朝のことだった