前回、時代の変化と伴に世の中は豊かになり、多様性が重視される世の中に

なってきているという話をしました。

 

多様性は自由の象徴、ある種生きやすい世の中みたいに捉われがちですが

その反面、人々の生き方に混乱を生じさせるものでもあると思うのです。

 

これは歴史的な教育観点から日本では同調圧力の環境下で育ってきた人が多いため

多様性の価値観を浸透させていくのはかなり今根付いている日本の価値観と

相性が悪いと感じます。

 

この日本独自の価値観はどこの国からの影響も受けない島国ならではのものだと考えます。

ヨーロッパやアメリカ諸国などの隣国の影響を受ける国々では

多種多様な価値観が受け入れられやすく、自己主張の強い、

表現が豊かな人が多い印象です。

 

そんな中、日本でも多様性という価値観が芽生え始めているわけですが

多様性の時代を生きる上で私が一番重要だと思うのが

自分を理解するということなのです。

 

日本の教育的背景からも日本人は無意識にも殻を被って育ってきた人が多いと感じます。

この殻というのは恐ろしいもので、何重にも殻が被さるとなかなか破れません。

 

周りの目を気にする人や強調性を重んじる人。

一概に悪いとは思いませんが、捉え方によって自分の人生を他人に委ねている状態とも

捉えられるのではないでしょうか?

 

ある種多くの人がこれが「正しい生き方」だと洗脳されている状態なんだと感じます。

 

殻を被り続けた結果どうなるか。

自分のやりたいこと、好きなことが分からなくなるのです。

 

その一例として転職活動に励む私の知人 (複数)との間でこんな会話がありました。

転職を考えている知人に、なぜ現状に満足がいっていないのか。

どんなところに行きたいのか、あとそれはなぜかを聞きました。

 

そうすると、

【現状に満足いっていないと感じる理由】

・この仕事をずっとやっていく姿が考えられない

・この仕事にやりがいを感じない

・人に喜んでもらう仕事がしたい

 

【どんなところに行きたいのか】

・提案営業ができる仕事がしたい。

・企画の仕事がしたい。人に喜ばれる仕事だから

といった回答が返ってきました。

 

多くの人が理想の姿みたいなものを想像していて、

それが実際はどういった仕事なのかというものもわかっていない状況で

転職活動を行なっているようです。

かなり表面的な判断基準だと感じませんか・・・?

 

今自分が満たされていないのは職種 (仕事内容)が原因だと思い込んでいて

自分の内側にある本質的な思いに気づけていないんだと思うんです。

 

今回例を挙げたのはこの人のやり方を否定するためではありません。

あくまで自分と向き合うことの重要性が薄れてないか?と疑念を提唱するためです。

 

いい高校に行くための勉強 → それはいい大学に行くための勉強 →

それはいい会社 (有名企業)にいくため

 

こういった個人の幸せとは結びつかないような教育が、

己と向き合うことの重要性を薄くさせ、人生を迷路に陥れている。

私は日本の教育として自分と向き合う時間・授業を取り入れるべきだと強く思うのです。

 

仕事探しでは、まず初めに自分と向き合い自分を知る。

そして自分を満たす条件から職種・会社を探す。

これが本来あるべき仕事探しの順序ではないでしょうか?

 

今回は仕事面での内容となりましたが、これからの多様性の時代、

仕事だけに関わらず自分自身の「幸せ」を掴むためにはさらに

自分を理解することが重要になってくるのではないでしょうか?