緊急搬送
前回の投稿からだいぶ空いてしまいました。
記録していくか迷いましたが、自分の記録また体験談として残すことにしました。
私は仕事の異動をきっかけに実家から離れて暮らしています。
車で9時間、電車と飛行機で3時間ほどの距離です。
現在は結婚していて、4歳の男の子と1歳の女の子を育てています。
父は4年前に脳梗塞で倒れ入退院を繰り返し2年前他界。
母は実家で一人暮らしをしていましたが
去年の2月に肺がんが見つかり、その時点で脳転移していました。
脳へ転移している癌は小さかったものの、転移があることでステージ4が確定しました。
はじめのうちは、日常生活に支障はなかったものの
度重なる入院や放射線、抗がん剤治療で体力は削られ
仕事も辞めることになりました。
癌が見つかった時点で60歳は越えていたため、額は減ることを了承して年金の受給を開始しました。
また、父が亡くなってから生命保険に加入しており
特約などにより入院の額がしっかりあったので、生活に支障は出ずに済みました。
入退院を繰り返しながらも無事生活していて
11月は以前から母がこちらへ遊びに来ることになっていました。
定期的に連絡は取っていたのですが、ラインに既読がつかない日がありました。
疲れているのかな?と思い、その日は深く気にしませんでしたが
翌日もラインに反応はなし。電話も出ず…連絡がつかなくなって3日経ちました。
11/3、電話すると「おかけになった電話番号は…」
え…?
さすがにいてもたってもいられず、警察に連絡。
家を確認してもらうと、母は倒れていました。
幸いなことに意識はかすかにあり、そのまま救急搬送されることになったため
普段入院している病院を伝え、そちらに搬送してもらうことに。
夕方病院から姉へ連絡があり、病状の説明がありました。
(姉も実家から離れたところで暮らしています)
先月手術した肺癌が再び脳へ転移
発見される前日の晩、脳の再発で倒れた
家には戻れないと思われること
いつまで自分で食事ができるかも怪しい
細かく病状と今後の事を伝えたいから、来週にでも面会に来てくださいとのこと。
その晩、これからのことなど姉と号泣しながら話しました。
父は脳梗塞だったため、片言でしか話せなくなり
二回目倒れたときに自分では動けなくなってしまいました。
おそらく意識はあったものの、自分ではなにもできず
オムツ交換の際、腰を持ち上げるなどできる限りの協力していたと母から聞いています。
父は器用で、一時期便利屋もしていました。
人と話すことも好きでおしゃべりな父に、思春期の頃は寝たふりをすることさえありました。
そんな父が言葉を発することができず、何をするにも人の手を借りなくてはいけない状況…
きっとすごく歯がゆくて、申し訳なくて、悔しかったと思います。
母はこれからどうなっていくのか…
姉は子供がいないため、急遽休みをとって面会に行ってくれることになりました。
地元から離れており、母に癌が見つかった時からいつかこんな日が来るのかとは思っていましたが
やはり実際に起きるといろいろと考えてしまいます。
ただ、今回思ったことは、もしかして?と思ったら行動してみることの大事さ。
今回連絡がつかなくなったきっかけは母がスマートフォンを家の中で無くしたことでした。
ちょうど電源が切れた日の前日の晩に倒れたので一命をとりとめましたが
あと一日遅ければ母は亡くなっていました。
自分の親が孤独死したら…今考えても背筋がぞっとします。
本当に迅速に動いてくださった警察の方には感謝してもしきれません。
こういったことはめったにないと思いますが
日ごろから家族で連絡を取り、後悔が無いようにしていかなければと思いました。