ニライカナイってなんだ、と調べた。
沖縄は独自の信仰が古来にあった。
最高神はキンマモンといい、ニライカナイより現れる。
ニライカナイは神道で高天原みたいなものね。
入試作問者が合否判定会議に入らないのは不健全だ。
入試難度や問題のどこができていてどこができていないのか、から判断できる情報もある。あらゆる情報を鑑みるべき、大切な判定であろう。

好きな言葉
『私が蝶の夢を見ているのか、蝶が私の夢をみているのか?』

私の解釈じゃなくて、何で好きかを述べると、まず蝶が儚い感じがして素敵。
そして確かのものなどない、と私は思う、そんな感じがする。
物質的にも何も定義できない。
私って、何か?
この見える手のひらをもつこの物質が私?
頭を、脳を、ニューロンを走る電気信号のパターンが私?
私は私以外がないと定義されない。
私の自覚には、現在まで脈々と続く私の過去(の記憶)が必要不可欠だ。
未来への予感や、
まさにこの現在、選び得る自由も必要だろう。私が触れる物質的環境、アクセスできる情報。
表に出ない潜在的情報(知識)。
すべてが私たり得るのに必要そうであるが、実に不確かな曖昧なものである。
よくよく考えれば考えるほど私は私以外との境界線なんぞ引けない。

イエスの復活はどのような意味を持つか?答えのヒントはデカルト。とか言ってた人が今日いたけど。
ヒントを貰って、あぁ、人の心に生き続けた、ってことね、と分かったが。
(イエスの復活はキリスト教の根幹で、クリスチャンは実際の復活を信じている訳で、)デカルトの『我思う故、我あり(コギトエルゴズム)』は記憶、心に残るとかじゃ、全然なくて、一生懸命考えたて、私が存在することが確かめられるという意味である。

私が分かれば、私を見失えば、それが同値と証明すれば、何か悟りが開けそう。