戦後の映画と二眼レフ③ | 四畳半カメラ大系

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6.日活系映画って?

 

 

スキャンを忘れたので粗末な画像で申し訳ないが、トリミングしたのがこちら。

 

皆さん解読できただろうか。

 

露出表の裏に入っていた切れ端は映画関係の切り抜きのようである。

 

まず日活系映画と松竹系映画とは何か。

 

松竹と言えば映画館に行くと大抵映画が始まる前にその文字が出てくる。

 

画像元:松竹のHPより

 

そう考えると日活も配給会社の1つだと推測できるが、今の世代だと日活はまず知らない。

 

日活は日本最古の映画会社で1912年に創立。元々の名称は日本活動フィルム株式会社だったので、その略称が日活となっている。

 

昔の映画を見た時に最初にこれが流れた記憶は無いだろうか。

 

活動フィルム(活動写真)は映画の旧称だが、それ以前に活動写真は幻灯機などのフィルムが動く装置の名称として使われていた。

 

上の紙の各映画は会社ごとにジャンル分けで記載されている事が分かった。

 

ではそれぞれの映画の公開日を調べてみよう。右から映画を並べてみると

 

虎の牙

ジャングルの宝庫

死闘の銀山

密林の黄金

獣人

駅馬車

サハラ戦車隊

赤い靴

目下恋愛中

上州鴉

 

となった。

 

U-nextでのサハラ戦車隊の広告

 

各作品の公開日

 

虎の牙 

ジャングルの宝庫 

死闘の銀山 

密林の黄金 

獣人 1950年7月15日

駅馬車 1940年6月19日

サハラ戦車隊 

赤い靴 1950年3月1日

目下恋愛中 1951年5月25日

上州鴉 1951年5月25日

 

だ。これらの作品で一番新しい公開日が虎の牙/昭和26年(1951年5月26日)となる。

 

なのでこの切り抜きは1951年5月26日以降の代物と思われる。モンテフレックスの試作も昭和26年なので、同年に作られたことを示す証拠ではないだろうか。

 

サハラ戦車隊当時の広告

 

7.モンテ35

 

ここで気になるのはモンテフレックスが昭和26年の何月に試作されたかだ。マイナーメーカーの試作機ながらここまで資料と物的証拠があるなら特定可能に思える。

 

まず、製品として登場した最初のモンテ35ⅠとⅡは

 

アサヒカメラ昭和27年6月の新製品メモで登場。次にアルスカメラ昭和27年7月国産カメラアナウンスで登場。そしてアサヒカメラ広告昭和27年8月~12月と順を経て広告が載せられている。

 

24×36判(ライカ判)鏡胴型カメラ

モンテ50ミリF3.5

B.1~1/200セルフとシンクロ付が9500円のⅠ

B.1/5~1/200シンクロ付の8500円がⅡ

 

モンテ35の初登場が昭和27年6月と昭和26年の試作から離れていることから、その期間でカメラを設計開発をしていたことが伺える。

 

前の記事で紹介したH氏の話でモンテ35の証言もあるので、そちらを紹介する。

 

「昭和26年...

 

④に続く

 

 

おまけ

 

警察日記 1955年

 

是非おすすめです。