オリエンタル写真工業幻の二眼レフカメラ⑤ | 四畳半カメラ大系

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13.ミリオンレンズの正体

 

 ピーコックでオリオスコープとテリオナーが搭載されていたが、オリフレックスに搭載されているレンズ銘はミリオンアナスチグマットである。

 

 他の製品で使われていない名前で社史でも由来が分からない。オリエンタル写真工業は写真機製造能力を保有していたが、レンズはどうだろうか。

 

 例えばアイレス写真機製作所(AIRESFLEXなど)は日本光学工業(現ニコン)のニッコールを自社のカメラに搭載しており、レンズの自社生産はしていない。

 

 同様にオリエンタル写真工業もレンズは他所から調達していたと考えるのが妥当だが、社史では昭和10年4月、本社と写真学校の隣接地を工場用に購入し、写真機の製造及びレンズ製造を予定していたとの記述がある。

 

 元々オリエンタル写真工業は大正13年に東洋光機製作所の前身となる工作部を創設している。当初は写場用アンソニー、組み立て暗箱レンズフードなど写真用器具類を製作。

 

 そこから後身の東洋光機で写真機を製作しているが、レンズ製造を予定していたことからレンズは自前で調達していたと考えられる。

 

 但しオリオスコープのレンズはベスト判であり、中判用のレンズではない。中判用レンズの製造能力があったかどうかが釈然しない。そこから他に記録に無いカメラがあると仮説を立てた。そこで国産カメラ図鑑を見てみるとミリオンという名のカメラを発見。

 

画像元:国産カメラ図鑑

 

 製造元不明のフォールディングカメラで、レンズ銘F3.5ミリオンシャッター(B.1)。イメージサイズは4×6cm程でブローニーに近いカメラの様である。製造年は約1935年(昭和10年)と推定されている。画を見ると、レンズ部分がオリフレックスのレンズと似ている。このミリオンとミリオンアナスチグマットは関係があると見た。

 

14.孔雀ミリオン二號カメラ

 

 しばらくミリオンの名で調べてみると、全国工場通覧(昭和15年)の東洋光機製作所の品物欄でミリオンカメラの単語を発見した。

 

 同社は東京市淀橋区西落合532の昭和13年創設と掲載されている。社史と概ねの時期と住所は一致しており、ミリオンカメラ(昭和15年)と国産カメラ図鑑のミリオン(推定昭和10年)は時期が近いことから、同一と見て間違いない。

 

 だが、ピーコック以外に東洋光機が関わっているカメラの広告が見つからない。

 

 そこでカメラ雑誌以外に目を向けてみると、昭和16年2月~昭和19年末の大日本雄辯會講談社から発行された少年倶楽部でこんな広告を発見した。

 

 「ブローニー型孔雀ミリオン二號カメラ」と記載されている。孔雀は英語でピーコックだ。当時の価格で金10円、発売元は孔雀活動カメラ(東京市浅草区駒形町電停際)で、暗室不要種板と乾板(小名刺)を使用するフォールディングカメラであった。

 

画像元:少年倶楽部

 

 本機の製造元が東洋光機製造で、孔雀活動カメラに卸していたと考えられ、他にも孔雀D號ロールカメラ(セミイコンタ型ベスト16枚写真用)やベスト型特十号カメラ(暗室不要)などが確認できる。

 

 ブローニー型であること、小名刺判のフォーマットは5.7×8.3cmから搭載されたレンズは6×6の中判に対応可能である。これらを踏まえるとオリフレックスのレンズは東洋光機製造のミリオンカメラが由来(流用?)と見るのが筋だろう。

 

 つまりオリエンタル写真工業は中判用レンズの製造能力もあったのだろう。

 

⑥に続く