その頃から私は代わり始めた気がする。

母の母は掃除の仕事をしてるため朝早くから夕方まで帰ってくる事はなく。

母は変わらず飲みやの仕事を続けていたため生活が逆になりもっぱら私達は放置で私は学校に行かず妹と弟の世話をしていた。

でも7歳の子供が2歳、3歳の面倒を見るなんてそんな簡単な事じゃなくオムツにご飯に満足じゃないため機嫌が悪く泣く騒ぐのは当たり前。
母には毎日の酒に寝不足で私達を面倒、見る余裕などなく
母はいつも私に
(あんた達のせいで働かなきゃいけないのだからお姉ちゃんのあんたが妹と弟の面倒を見るの)

そんなの無理。

日に日に母は私達が邪魔になり毎日、うるさくするなと言い弟が泣けば叩かれ妹が泣けば叩かれ家事を失敗すれば叩かれなぜ私だけが叩かれる?

そうふと思った時、母は私に(あんたはお父さんにそっくりだから叩くとすっきりするよ)

そうやって毎日叩かれた
母の母は知らないふり。
今、思うと近所の人がいい人達で助けてくれてたのかもしれない。
それが原因かはわからないが突然の引っ越し。

そこに引っ越してからはもっとひどくなり母は男ができ私達がさらに邪魔になりほとんど家に帰ってこなくなった。
それから2.3カ月後、母の母も遂に私達を面倒、見る事ができず父に連絡を取り私達を父のもとにおき母、母の母と二度と会う事はなくなった。


読みにくくごめんなさい
私の小さい頃の途切れ途切れの記憶。

母と父がどんな出逢いで恋に落ち結婚したのかは知らず。

私が知る限り常に喧嘩をしお互いを邪魔扱い。
仲が良かった頃はあったのだろうか。

それでも4人の子供を授かり最初の子供は死産をしたけれど私、弟、妹がいる。

私は小学生前の記憶がほぼ無い。

なので記憶にある小学生頃は父は働くが遊びがすきで亭主関白で自己中だった。
母は面倒さがりの自己中だった。

様子が代わり始めたのは母が飲みやで働き始めてからだ。

おそらくお金に困り貧乏が嫌で働き始めたのだろう。
すれ違いのスタート。

母は面倒さがりのため家は見る見る汚れそれでも父もやらず喧嘩はますますひどくなったしょっちゅう近所にいた母の妹の家に預けられた。

気づいた時には母の母、母、私、弟、妹でアパートで生活をしていた。


くだらなくってすみません

また明日
初めてのブログなので慣れるまでは大変だけど

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ただの自己満ですが毎日、少しづつ書きたいと思いますチョキ

本当に自己満です