崔家の湖の先にある第二スリバン街。

そこからすぐのところにある

蒼い草むら。

 

チェ・ヨンもウンスも

今は、その男の邸宅にある

その蒼い草むらにそっくりな

蒼々とした草の上を

 

まるで子供のように

二人一緒になって

右へ

左へ

ぐるんぐるんと回りながら

笑っている。

 

「ヨン…目が…回る……」

 

ウンスがそう言っても

チェ・ヨンは

やめようとしない。

 

久しぶりにその男は

頬にチェ・ヨンにしかできない

へこみを作り

腹の底から笑っていた。

 

静まり返ったチェ・ヨンの邸宅に

主人の笑い声が響く。

 

ウンスは

そんなに大きな声で笑って

大丈夫かと

心配そうな顔をしていたが

 

あまりにも

屈託無く笑う

童心に戻ったような

チェ・ヨンに

なんだか嬉しくなり

 

「ぷっ」

 

と吹き出した。

 

 

「ねえ、大丈夫なの?」

 

「そんな大声で」

 

チェ・ヨンの袖を

引っ張りながら

そう言うが

 

「何を言っておるのだ」

 

と、そんな顔をして

ウンスの言うことなど

気にせずに

 

「くっくっ」

 

と笑っている。

 

 

あれほどまでに

激しく

自分の心を吐露していた男が

今はこのように

さっぱりとした顔をして

笑っている。

 

あれほどまでに

恥ずかしくて

言えなかった

 

「アイシテル」

 

その言葉を

 

今はそこを回転するごとに

ウンスの耳元に唇を寄せ

ささやいてる。

 

いたずらっ子が

困る言葉を

好きな女の子に

言うように

 

キラキラヒカル瞳を

クルクルさせながら。

 

 

「本当に同じ男だろうか?」

 

ウンスは時々、そう思っていた。

 

「もしかして、二人いるんじゃない?」

「ねえ、まさかよね?」

 

「チェ・ヨンとチェ・ヨンのお兄さん」

 

「チェ・ヨンとチェ・ヨンの弟」

 

「……チェ・ヨンとチェ・ヨン」

 

「まさか双子…」

 

「まさかよね。まさか」

 

思わず、まじまじと

チェ・ヨンの顔を見つめる。

 

 

「ん? どうしたのだ」

 

そんな顔をするチェ・ヨン。

 

ウンスは首を激しく振り

躰をぶるぶるっとさせると

 

「ないない」

 

「絶対ないわ」

 

「そんなこと」

 

そう、つぶやいた。

 

ようやく静かに躰を止めた

チェ・ヨン。

 

その胸の上に

ウンスはいる。

 

 

ドクン

ドクン

ドクン

 

ドクン

ドクン

ドクン

 

若干、早いが

規則正しく

力強いオトを

打っている

チェ・ヨンの胸。

 

ウンスは

チェ・ヨンの

厚く平たい胸に

その頬を寄せ

 

大好きでならない

そのオトをじっと

聞いていた。

 

先ほどと

まったく逆の

姿。

 

チェ・ヨンの胸に

片頬を寄せ

もう片方の瞳で

あの樹を見つめている。

 

チェ・ヨンの

規則正しく

力強い男の

鼓動を

聞きながら。

 

 

「どこも悪いところはない」

 

「どこも…な…い……」

 

本当は、そのオトの影に

まだ、少し

何かが

あることに

気づいてはいたが

 

今は、気づかない振りをした。

 

 

「今は、これでいい」

「今は、これで」

 

そう、自分に言い聞かせながら。

 

 

片方の瞳が

あの樹を見つめ

あの場所を想い出している。

 

あの蒼い草むらの

二人の愛。

 

激しく貫いた

これ以上ないほどの

愛。

 

これ以上、どこにも

突き進むことなどできない

そんな

凄すぎた

チェ・ヨンの愛。

 

どこまで突き進めば

この男の愛は

終着にたどり着くのか

分からない。

 

そんな底知れぬほどの

チェ・ヨンの愛。

 

 

だが、その男は

 

そんな自分を知らず

そんな自分を封印し

そんな自分を恥ずかしくさえ思い

 

ずっと、隠していた。

 

ウンスに出会い

そうであることを

知り始めていたのに。

 

隠して、いた。

 

 

「イン……ジャ……」

 

 

上にいたウンスを

ぐるんと自分の下にやり

上からウンスを覗き込む。

 

自分の躰が重くはないかと

ほんの少しだけ

いつものように

心配しながら。

 

 

「俺……おかしい…ですよ…ね……」

 

「自分でも分からなくなる刻が

あるのです」

 

「制御がまるで効かなくなり」

 

「今までこのようなこと

一度もなかったのに」

 

「自分の心を露わにするなど

そのようなこと

鍛錬でいくらでも制御できる

はずだったのに」

 

 

「俺……」

 

「感情なんてないのだと思っていた」

 

「そんなもの、どこかに捨ててきたと」

 

「だが、今」

 

「いや、インジャと出会ってから」

 

「何か、変で」

 

「感じるのです」

 

「ちくんと」

 

「俺のここが」

 

そう言い、チェ・ヨンは

自分の胸を叩いてみせた。

 

「ぎゅぅうぅっと、まるで

剣で刺されたような」

 

「そのような痛み」

 

「敵に鷲掴みされたような」

 

「イナズマを落とされたような」

 

「いろいろな痛みがあるのですが」

 

 

「俺は…何か…どこか……」

 

「やはり……悪いので…しょうか……」

 

「俺の躰……」

 

「どこか……」

 

 

つい、そう口走ってしまった自分を

チェ・ヨンは「しまった」と

そんな顔をして、

はっと口をつぐんだ。

 

 

「い…や……」

 

「今のことは忘れてくれ」

 

「なんでもないのです」

 

「多分、古傷がうずいているのか」

 

「最近の俺は、少し」

 

「疲れていたようで」

 

「だからです」

 

「大丈夫ですゆえ」

 

「イムジャ」

 

「すみませぬ」

 

 

「長いこと、イムジャを一人にして」

 

「少し仕事がたまりすぎて」

 

「俺は…どうにかしていた……」

 

 

時々、饒舌になるチェ・ヨン。

そんなチェ・ヨンの唇に

ウンスは人差し指を

 

「しぃっ」

 

というような唇をさせながら

そっと当てた。

 

 

「私のとこへきて」

 

「ん?」

 

意味が分からず

問いかけるチェ・ヨン。

 

「そんな風に、いつも

躰を浮かせてなくていいから」

 

「すべてのあなたの躰を」

 

「私に投げ出して」

 

「大丈夫だから」

 

「あなたの重みでつぶれたりなんか

しないから」

 

「私の力、あるの知ってるでしょ?」

 

「だから、私のとこにきて」

 

「あなたのすべてで」

 

「ねっ」

 

「こうやって」

 

 

そう言い、ウンスは

チェ・ヨンの回り切るはずのない

背中にできる限り腕を回し

自分へと引き寄せた。

 

突然のことに

 

ばさんっ

 

と躰を持って行かれる

チェ・ヨン。

 

「もっと」

 

「え……」

 

「もっとっ」

 

「きて」

 

「全部で」

 

「イン…ジャ…」

 

「つぶれてしまいます」

 

「インジャが」

 

「大丈夫だから」

 

「もう」

 

「本当に」

 

「じれったいな」

 

「私がいなくなってもいいの?」

「困るでしょ?」

 

「だったら掴まえて」

 

「私を」

 

「あなたの全てで」

 

チェ・ヨンはおろおろしたが

ウンスが本当にいなくなっては困ると

観念して

そろそろとウンスの躰に

身を投げ出した。

 

 

「重い…でしょ…う……?」

 

ウンスのオトと

チェ・ヨンのそれが

段違いで奏であう。

 

最初は共鳴していただけの

それが

 

徐々に

一つになっていく。

 

ドクン

 

ドクン

 

ドクン

 

 

意識をあわせるとごに

一緒になるはずのないオトが

徐々に重なり合っていく。

 

 

どんどん

 

高鳴る二人のオト。

 

生きてるオト。

 

未来へ続くオト。

 

強くなるオト。

 

力強くなるオト。

 

熱くなるオト。

 

止められないオト。

 

 

「インジャっ」

 

 

チェ・ヨンは

自分とまったく同じオトを持つ

ウンスの躰を知り

 

ウンスもまた

自分と同じだったのかと

自分は病気などではなかったのかと

 

これが普通で

これが愛なのだということを

 

ウンスに、また教えられ

 

その自分の女を

 

再び

 

あの時のように

 

骨が軋むまで

抱きしめ尽くした。

 

 

「イン…ジャ……」

 

「イ…ン…ジャ……」

 

「インジャ……」

 

 

 

「ウンス………」

 

 

 

 

「俺の、女」

 

「ウンス……」

 

 

 

「俺だけの…もの……」

 

「ウンス」

 

 

 

 

「俺の大切な人……」

 

「俺の……」

 

「大事な………」

 

「大切な……人……」

 

 

チェ・ヨンがそうつぶやくたびに

 

ウンスが大きく頷く。

 

 

「そう」

 

「そう」

 

 

「そう」

 

 

すべてに答える。

 

 

「チェ・ヨンの言う通り」

 

「すべて、チェ・ヨンの言う通り」

 

「思う通り」

 

 

そう、答える。

 

 

「だから………」

 

「大丈夫」

 

 

 

「私は、あなたにとって」

 

「自由すぎるかもしれないけれど」

 

「私の心は」

 

「あなただけのもの」

 

「あなたしか…見てないから」

 

 

「あなたしか…いないんだから」

 

「あなた…だけなんだから」

 

 

「大丈夫」

 

 

 

「私を…見て……」

 

 

「私を……」

 

 

チェ・ヨンは

 

ウンスを

 

その胸とその腕

そしてその脚のすべてで

自分の胸のなかへと

しまい込むと

 

その耳に

その男の

その真実を

 

捧げた。

 

 

 

「この先ずっと」

 

 

「あなたは」

 

「俺のひと

 

 

「俺だけの…ひと…」

 

 

その大きな輝く瞳を閉じ

 

ぷるんと厚く反り

だが少し乾いた唇を

 

濡れ光る

自分のあのひと

その耳に

 

這わせ

 

ながら……。

 

 

俺だけの…

ひと………