チェ・ヨンは

ひとしきり

これ以上ないまでに

深々とこうべを垂れると

 

鉢巻を覆う真っ直ぐな髪を

はらんと泳がせ

王に背を向け

扉を

 

ばたん

 

と閉めた。

 

 

扉の外で

心配そうな顔をして待っていた

テマンとチュンソクを

一瞥し

まっすぐ前を向き

歩き始める。

 

一歩。

 

そして

一歩。

 

どんどん長くなる

その男の歩幅。

 

向かいの柱の影で

隠れるように見ている

王妃とチェ尚宮の

姿が

視界の端に映る。

 

チェ・ヨンは

迷った。

 

「王妃様に一言、ご挨拶を」

 

律儀な男は

後ではなく

今それを

王妃に伝えたかった。

 

 

いつも王の側で王と共に

いや、王以上に

自分とウンスのことを

心配し考えてくれている

自分たちには

もったいないほどの存在。

 

それは

チェ・ヨンのためだけでなく

自分の姉と慕う

ウンスを想ってのことでもあった。

 

だが、チェ・ヨンは

遠慮した。

 

瞳の端で掴んだ二人の姿に

静かにそっと

わからないほどに

目配せをし

頭を微かに下げた。

 

 

「王妃様には王様がいる」

 

「早く報告したいだろうに」

 

「我慢されている王様がいらしゃる」

 

「その前に私がいうことなど

何もない」

 

「こうして、この姿をお見せすることこそが

私にできる唯一の、恩返し」

 

 

そう想い、

王妃の足元に傅き

深々と

頭を垂れたいのを

ぐっと我慢した。

 

自分の気持ちに蹴りをつけ

さっぱりすることよりも

王の気持ちを大事にした

チェ・ヨン。

 

王妃にはそのことも

よくわかっていた。

 

側に仕える

チェ尚宮が

 

「王妃様。申し訳ありませぬ」

「甥子のためにこのようなご配慮を

いただいたのに、あやつはご挨拶もせず」

 

そう、チェ・ヨンの代わりに

謝罪する。

 

だが、チェ尚宮も

チェ・ヨンの想いは

十分、分かっていた。

 

自分が出る幕ではないと分かって

わざと素通りしていることを。

 

あの男の瞳がそう、叔母の

チェ尚宮に静かに伝えていたことを

十分に理解していた。

 

ほっと胸をなでおろす

チェ尚宮。

 

このところ

目に入れても痛くないほどの

可愛くて自慢の甥子が

息の根も止まってしまいそうなほど

弱り果てていて

気が気ではなかった。

 

ウンスもウンスで

こんなチェ・ヨンの姿に

ありえないほど元気をなくし

ゆえに相談など

できるはずもなく

 

せめても

美味しいものをと

ミン・アンに持たせ

一口でも食べろ

とにかく食べろ

と、言うしかなかった。

 

しかし、あのウンスが

食べることを拒否している。

あの、ウンスが。

 

ならばいっそのことと思い

 

事の原因となっている

ヨン・クォンや

ミョン・ノサム

チャン・ビンに

思い切って話をしても

 

これまたどうしてもチェ・ヨンを

護りきらねばならぬ男たちは

チェ尚宮の言うことを

簡単に聞くわけにはいかなった。

 

それに、どうして

チェ・ヨンが

そのようにならねばならないのか

理解できない三人。

 

自分たちはただその男を

影で護っているだけなのにと

こちらの方も問題の根があまりにも深く

解決できそうな

気配すらもなかった。

 

 

刻がただ必要で

だがその刻を待っているわけには

いかず

焦るチェ尚宮。

 

 

そんな時、王妃が手を差し伸べ

そして王も賛同し

一役買って出てくれた。

 

口元はいつものように

真一文字に結び

怖い顔をしているが

その心の中では

涙をひとしきり

流しているチェ尚宮。

 

「正月二日のことは私が

すべて段取りをしておくゆえ

そなたたちは

大晦日から元旦の二日。

たったの二日ではあるが

二人きりでいられるあの場所へ

行ってこい」

 

 

そうチェ・ヨンに言い続けていた。

 

だが、その言葉を

チェ・ヨンは

上の空で聞くばかりで

うんともすんとも言わない。

 

それどころから

ここに躰はあっても

心はないようなもので

まるであの時のように

摑みどころなく

今にも一人でどこかへ

消えてなくなってしまいそうな

そんな気配すら

漂わせている。

 

この世の中で

たった一人の

可愛いくてならぬ

血のつながる男。

 

チェ尚宮は

チェ・ヨンを

失うわけには

いかなかった。

 

チェ・ヨンだけでなく

ウンスも。

そしてこれから生まれ来るはずの

崔家の跡取りも。

 

「絶対に、失えない」

 

一人、部屋でそうなんどもつぶやき

策を練った。

 

チェ・ヨンの父と

約束したのだ。

 

必ず

チェ・ヨンを

立派な男にし

幸せにさせると。

 

「武士でなくてもよい」

 

「チェ・ヨンが幸せであれば

それでよいから」

 

と、チェ・ヨンの父

自分の兄が

チェ尚宮に遺言として

その言葉を残した。

 

ゆえに、破るわけにはいかなかった。



その言葉を。

 

 

 

そのような中、ユ・ウンスが突如現れ

チェ・ヨンの想い人となり

いろんな事が降りかかりつつも

ようやくその危機を脱したかと思ったのに

またもやこの難題が降りかかり

チェ尚宮は

何度も兄を恨んだ。

 

「このような

優しすぎる男にして」

 

「生まれ持っている

ありえないまでの身体能力が

余計仇となって

あやつを苦しめている」

 

「武士にしては、心根が優しすぎるのだ」

 

「兄上もそれを心配しておった」

 

「だからあのように厳しく育て

あのように辛い目をしておったのに」

 

「結局は、今こうして…」

 

ため息をつく

チェ尚宮。

 

 

だが、そんな甥だからこそ

愛おしく、可愛くてならず

いつも抱きしめてやりたいほどで

 

図体ばかりでかくなったが

チェ尚宮にとっては

いつも子供の頃の

天真爛漫で

だが寂しすぎた

チェ・ヨンでしかなかった。

 

 

 

その男のこの今の凛々しい後ろ姿に

見とれているうちに

隠していたはずの涙が

しらずに頬を伝っていた。

 

慌てて、王妃に

気づかれぬように拭おうと

した時

 

その手を王妃が

すっと

掴んだ。

 

 

 

「よいのです」

「隠さずとも」

 

「嬉しいではないですか」

「私たちのチェ・ヨンが」

 

「あのように輝き、あのように立派で

凛々しく」

 

 

「高麗の誰も、あの男には

勝てまい」

 

「誰一人として……」

 

同じく頬を濡らす

王妃がそういった瞬間

 

一つの咳払いが聞こえた。

 

 

「んんんっ」

 

 

「あの男に、勝つ者は

誰一人としていない?」

 

「それは、誠か? 王妃」

 

肩を落とし寂しそうに

そう言う王が

そこに立っていた。

 

 

驚く王妃とチェ尚宮。

 

 

チェ尚宮は周囲の者に

目配せして

後ろに下がった。

 

 

「王様・・・・」

 

 

王妃が王を見つめる。

濡れた瞳。

 

チェ・ヨンと同じように

汚れも嘘もそこにはなく

ただ真っ直ぐに

自分を見つめられる

瞳。

 

 

そのように自分を

見ることができるのは

 

チェ・ヨンのほかに

王妃しかいなかった。

 

ユ・ウンスもそうだが

あの女人の瞳に

自分は王妃のように

映ってはいない。

 

あの女人の瞳に映っているのは

この高麗にきた時から

 

チェ・ヨン

 

ただ、一人だけだった。

 

王も王妃も

そのことに

最初から気づいていた。

 

気づいてなかったのは

チェ・ヨンだけ。

 

あの男だけだったのだ。

 

 

「まったく…」

 

「本当に人騒がせな男だ」

「なぜ、悩む必要があるのだ」

 

「お互いこれ以上ないほどの

相思相愛で、それは誰の目にも明らかなのに」

 

「互いに、相手のことだけを」

「他の者のことばかりを」

「考えているからこうなるのだ」

 

「困った者を第一の臣下に

してしまったものだ」

 

「のう、王妃」

「そうであろう?」

 

 

「はい、王様」

「そのとおりです」

 

「困った者たちです」

 

そう言って

二人は笑った。

 

 

「では、王妃」

 

「我らも大晦日の夜を」

「共に過ごそう」

 

「今宵は寒くなりそうだ」

「温かいものでも…」

 

そう言う王に

王妃は人目を憚りながらも

一歩近づき

衣を近づけると

見えないように

王の手に自分の手を合わせ

握った。

 

「チェ・ヨンのあの言葉が

あったから、今の私たちが

あるのですよね」

 

「王様」

 

 

「あのチェ・ヨンを

医仙が再び生かしてくれたらから

この高麗があるのですよね」

 

「王様」

 

 

そう、言い

王の瞳を静かにそっと

見て微笑み

 

そして

王の手を

再び

もっと強く

握りしめた。

 

あの時、この場所で

チェ・ヨンが

 

「そうするのです」

 

そう、教えてくれたように。

 

 

二人の見つめる先には

赤い柱の角を曲がる

チェ・ヨンの

光り輝くまでの後ろ姿が

あった。

 

 

 

「チェ・ヨン」

 

 

二人の声が

チェ・ヨンの心に

響き、それは

その男の計り知れない

力となった。

 

王宮の外に待たせてあった

チュホンに

ひらりとまたがる。

 

 

後ろを付いてきた

テマンとチュンソクに

 

「あとは任せた」

 

そうとだけ命令すると

チュホンに言った。

 

 

「待たせた」

「行くぞ、これから」

 

「あの場所へ、インジャとともに」

 

チュホンの鐙を蹴る。

 



一心同体の二人は

 

チェ・ヨンの黒く真っ直ぐな髪と

チュホンの栗色に光る栗色のたてがみを

ともに後ろになびかせ

流れる風に包まれるように

疾走していく。

 

チュホンがチェ・ヨンを詰る。

 

 

「遅すぎる」

「ウンスに謝れ」

 

「俺のウンスにしっかり謝れ」

「まったく、お前は」

 

「本当に」

 

 

すると、チェ・ヨンが

チュホンに躰を

寄せながら


その首筋に

一つ



口づけをした。




 

軽やかに走りながらも

びくん

とする

チュホン。

 

 

 

「すまぬ」

 

「チュホン」

 

「すまぬ」

 

「お前のウンスを取ってすまぬ」

 

「だが、あそこまで

ウンスを頼むぞ」

 

「俺とお前のウンスを」

 

「俺がどうにかなっても」

 

「目を潰れ」

 

「よいな」

 

「チュホン」

 

そう、笑いながら

チェ・ヨンは

チュホンの耳に

ささやいた。

 

これ以上ないほどの

甘い声で。

 

甘えた声で。

 

 

その二人の姿。

 

道行く人々が

どのように

眺めたか。

 

それはまた

高麗の後世に

語り継がれていく

 

それほどの


目にも止まらぬほどの速さなのに

惚れ惚れして

立っていられなくなるほどの

 


艶姿であった。

 

 

インジャ

 

今参ります。

 

しばし、

お待ちを。

 

インジャ……

 

俺を

待って。

 

もう少し

 

だけ。

 

そしたら

俺は

 

二度とそなたを

離さぬ

 

ゆえ………


ご覚悟を。


インジャ....。

 

 

 

 

 

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あとがき

 

Rain8話

遅くなりました。

 

私としては

これで

ひとまず終わっても

良いと思うのですが

 

どうでしょう・・・

 

・・・と書いたのは

去年の1月。

 

結局55話まで続いた

 

「Rain」

 

そして実は未完のまま。

 

この物語は

最初に書いた

想いシリーズ

からの

新たなる戦い

そして

チェ・ヨンの愛

に続く話にする形で

書き続けてました・・・。