あってはならぬ姿。

 

チェ・ヨンは一刻も早く

王から離れなければと

そう想い

焦るばかりだったが

 

肝心の王が

チェ・ヨンを

離そうと

しない。

 

 

「人払いをしてある」

 

「だから………」

 

「大丈夫」

 

 

「大丈夫………」

 

 

 

 

「大丈夫」

 

という言葉を

何度も

何度も

チェ・ヨンの耳に

流し込む。

 

王の唇が

チェ・ヨンの耳の際まで寄り

熱い吐息が

ふわっと

かかる。

 

慄く

チェ・ヨン。

 

 

 

生気を失い

鼓動も弱く

 

そんなチェ・ヨンでありながらも

自分を

 

もっと

もっとと

 

自分の腕の中に

深く……

深く包みこもうとする王に

最初こそ

抗おうとした。

 

今ある力をすべて全力で出し切れば

はねのけることはできたかもしれぬ。

 

だが。

 

 

王の力は

いや、その意思は

今のチェ・ヨンのその力を

確実に上回っていた。

力というよりは気迫が

完全に勝っていた。

 

 

ついにチェ・ヨンは諦め

 

すべての自分を

王に

高麗の王に

初めて

預けた。

 

自分のすべてを

開放し

 

許したのだ。

 

 

 

 

「王……さま………」

 

そう、掠れた声を

上擦らせながら。

 

 

チェ・ヨンの襟元は

その男の雫で

濡れそぼり

 

「それで王の大切な衣を

汚してはならぬ」

 

そんなことを

この後に及びながら

考えるチェ・ヨン。

 

だから

ついに躰を預けながらも

全身の力を抜きながらも

そこだけは力が入る。

 

だが。

 

王は

そんなチェ・ヨンの想いを

見越したかのように

ぐいっと自分の首元に

チェ・ヨンを引き寄せた。

 

「何も……」

 

「余計なことは考えるでない」

 

「何も……」

 

「私の言うことを」

 

「聞くのだ」

 

 

そう言う。

 

今まで聞いたことのない

低い声で。

 

 

「私で……」

 

「このような私で……」

 

「こんなにも不甲斐ない私で……」

 

「本当に……」

 

「良いの…です……か……」

 

 

 

「どうして」

 

「こんなにも」

 

「私を………」

 

 

王のその力に

チェ・ヨンは少し苦しくなり

少しの隙間が欲しくて

これまで想っていたことを

濡れる瞳をあからさまにして

聞いてみた。

 

上目遣いの

チェ・ヨンの

濡れる瞳。

 

 

つい、王は

瞳をそらす。

 

 

まともに

見れるような代物では

なかった。

 

その瞳。

 

 

なんの汚れもない。

なんの嘘もない。

なんの畏れもない。

 

ただ真っ直ぐで

深い漆黒の瞳。

 

毎日、雫を落としすぎたせいか

その瞳の際は

幾分赤くなっていたが

 

まるで生まれたばかりの

赤子のような

清らかで真っ白な

その瞳。

 

 

このように近くで

しかも

チェ・ヨンの雫を帯びた

それを

どうして

見つめ返すことができよう。

 

 

誰にもできまい。

そのようなこと。

 

できるのは

あの

女人だけ。

 

あの

天界から来た

ユ・ウンスだけ。

 

 

 

王は、チェ・ヨンの両肩に

手を滑らすと

 

大丈夫と思えるほどの

距離を保ち

 

言った。

 

 

「早く、行くのだ」

 

「そなたのいるべき場所へ」

 

「今日は、今年最後の日」

 

「警備は厳重に手配してある」

 

 

「私が暇を与える」

 

「だから、行くのだ」

 

「そなたの瞳を

唯一見つめ返せる

そなたの女人とともに」

 

「二人きりになれる場所へ」

 

 

「これは」

 

「王命だ」

 

 

「私の唯一無二の臣下に伝える」

 

「今年最後の」

 

「王命だ」

 

 

チェ・ヨンの濡れた瞳は

その男の底からあふれ出す

新たな雫で

もう王には

見えなくなっていた。

 

覆われていく。

 

チェ・ヨンの

あの

瞳が。

 

 

嗚咽とともに

その男の

あふれだす

真実で。

 

覆われ

止めることできず

 

頬を伝い

首筋を流れ

その男の

しぼんだ胸へと

たどり着き

そして

 

落ちた。

 

チェ・ヨン自身へと。

 

 

すっかり

小さく

縮こまっていた

チェ・ヨンの吐息。

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅっ」

 

 

深く

どこまでも深く

どす黒い

それが

 

チェ・ヨンの腹の底から

王の元へと

取り出され

 

王の放つ

王妃の匂いが

それを包み込み

 

かき消した。

 

まるで

何もなかったかのように。

 

 

 

「この後も迷い続けるであろう」

 

「消そうとしても

簡単には消せぬであろう」

 

「だが、その時は」

 

「想い出すのだ」

 

 

「私の言葉を」

 

 

「そなたは」

 

「チェ・ヨンだ」

 

「チェ・ヨンなのだ」

 

「それ以外でもなにものでもない」

 

「私の第一の臣下」

 

「ユ・ウンスの未来永劫の男」

 

「チェ・ヨンなのだ」

 

「恐れるものは」

 

「何一つ、ないのだ」

 

 

「よいな」

 

「分かったな」

 

 

王は、最後の二言を

いつもチェ・ヨンが

迂達赤隊員たちに言うように

まるで真似をするように

言い、笑った。

 

心の底から。

 

その瞳に滲む涙。

 

今年一番の大仕事を

今年最後のこの瞬間に

果たせた

 

王妃との約束を

立派に

果たした

 

その満足感が

王自身にみなぎっていた。

 

「王妃」

 

「見ていたか」

 

「私を」

 

 

「そなたのチェ・ヨンを」

 

 

 

「私は」

 

「私の真実の言葉で」

 

「対峙したぞ」

 

「王妃」

 

 

チェ・ヨンは

肩に置かれた

王の手から

 

今の王の言葉を

十分に

感じ取っていた。

 

 

 

「王妃様………」

 

「やは……り………」

 

 

 

互いに好きであったのに

素直になれず

ぎこちなく

想いを永遠に

伝えられそうになかった

王と王妃。

 

 

「手を合わせ」

 

「握りしめるのです」

 

「お二人の手を」

 

 

ウンスに王妃との仲を

疑われてもなお

王と王妃のために

手を握る練習を

繰り返しした

チェ・ヨン。

 

 

あの時のことが

脳裏をよぎる。

 

 

「王妃様………」

 

「なんとお礼を申し上げれば

よいのか……」

 

「偉そうにしていた私を」

 

「このように……」

 

「王様と二人で考え」

 

「策を打ってくださるとは」

 

 

「私はなんと幸せ者なのでしょう」

 

「王様」

 

「王妃様」

 

「迂達赤隊長チェ・ヨン」

 

「必ずや、お二人を護り抜きます」

 

「ウンスとともに」

 

「私たちが、必ず」

 

 

そうチェ・ヨンは

再び誓うと

 

王の手に

静かに自分の手を合わせ

すっとはずした。

 

 

王の元へ

傅く。

 

いつもの

チェ・ヨンのように。

 

きりっとした

端正な表情をして。

 

瞳に命が宿り

その奥底に

左右にゆらめく

炎まで

見えるほど。

 

 

「迂達赤隊長 チェ・ヨン」

 

「王命を拝命致します」

 

 

「しばし」

 

「お暇を」

 

 

 

 

「王様」

 

「王妃様とともに」

 

「良き新年を」

 

「お迎えください」

 

 

 

そう言い

頭をしばらく垂れると

 

後ろに下がり

すっと立ち上がり

 

王を見つめた。

 

 

王も、

チェ・ヨンに負けぬように

立ち上がり

小柄な躰を

背一杯に伸ばす。

 

 

ほころんだその瞳で。

実に、満足そうに。

 

 

向き合う

 

 

王と

チェ・ヨン。

 

 

朝のヒカリは

いつしか

午後の強いまでの

ヒカリへと変わり

 

二人の若き男を

薄暗い部屋に

照らしだす。

 

これでもかというほどに。

熱をぶつける。

 

だが、その激しいまでの熱に

負けることなど

ない二人。

 

 

内面から湧き出る

どうしようもないほどの

神々しい

二人のヒカリが

二人の頬を

 

凛々しく

眩しく

美しく

 

させる。

 

 

これから

歩んでいく

二人の道程が

 

その

ヒカリで満ちている

 

そう言わんばかりの

二人の

艶姿。

 

 

この二人を見るものが

あったのならば

誰もが

ひれ伏すであろう。

 

それほどまでの

王と

チェ・ヨン。

 

 

沈黙が流れる。

 

 

一国の長と

第一の臣下。

 

静かな瞳の会話が

しばらく交わされ

 

そして

最後に

二人は

互いに



伝えた。

 

 

 


「王様」

 

 

 

「チェ・ヨン」

 

 

 

王様

 

私チェ・ヨン

 

行って参ります

 

自分のすべてを

賭して

 

迷いなく

 

自分のすべてを

ぶつけて

参ります