「ぎぃ………」

 

 

脚元から

冷気這い上がる

鈍い光りを放つ廊下。

 

 

チェ・ヨンの

あまりに長い脚をもってしても

 

それは

 

その男の躰の芯まで

一気に

襲ってくる。

 

 

そのような

得体の知れぬ

気迫ある廊下。

 

ここに立ち入ることを

許されるのは

生半可な気持ちでない

生を賭した

確固たる意思を持つ

そのような者のみ。

 

 

まるで

そう

尋問しているかのような

その廊下。

 

 

 

 

迂達赤隊長の衣からは

どうしても

チェ・ヨンの細く長い首が

のぞいてしまう。

 

 

他の隊員たちなら

すべて隠されるのに

チェ・ヨンだけは

そうはいかなかった。

 

 

高貴な光沢を見せる

黒衣のえり合わせから

すっと伸びるその首めがけ

王を護る廊下の冷気が

何重にも巻いていく。

 

 

あのチェ・ヨンの象徴とも言える

喉仏が

いとも簡単に

それ目がけ

絞め付けられていくように

その男の躰を

らせん状に

縛り付けていく。

 

 

だが、

チェ・ヨンは

顔色一つ変えない。

 

 

むしろ

そうして欲しいと

願っている。

 

 

「もう……」

 

「いい加減……」

 

 

「吐露……して………」

 

「しまい……た……い」

 

 

 

 

 

チェ・ヨンは………

 

 

あの男たちの気持ちが

分かってしまってからというもの

心から相談できる男を

失っていた。

 

 

 

 

チュンソクも

テマンも

とことん信頼のおける忠臣たちが

いつも自分の側に控えているが

 

その男たちからは

数え切れぬほどの癒しをもらい

逆に護ってやるための

やる気を奮い立たせられはしても

相談できぬことの方が

多い。

 

 

何でも相談できたのは

幼少のころから

兄と慕う

ヨン・クォンのみ。

 

 

旧友チャン・ビンもまた

たまにではあるが

酒を酌み交わしながら

言葉数少なくとも

そこでそうして呑むだけで

理解し合える

何かがあった。

 

 

ヨン・クォンの背後を

いつからか護るようになった

ミョン・ノサム……。

 

 

あの男とだけは

腹を割って

話したことも

呑んだこともなかったが

 

チェ・ヨンが迷った時

いつも面と向かって

的確で最短な正しい道しか

進言しなかった。

 

 

いわば

その男の言う通り

事を進めさえすれば

間違うことなど

ありえない

 

それほどの

チェ・ヨンを遥かに上回るほどの

策士であった。

 

 

旧友 チャン・ビン

兄 ヨン・クォン

策士 ミョン・ノサム

 

これほどの高麗一

いや、元にまで名を轟かすほどの

チェ・ヨンの懐刀たちに

 

何一つ

相談することが

できぬようになった

チェ・ヨンは

 

昔のように

 

寡黙で

一人暗闇で目を閉じる

そのような男に

成り果てようとしていた。

 

 

だが、もうそれも限界。

 

躰が

 

チェ・ヨン自身の躰が

悲鳴をあげていた。

 

頭が割れんばかりの慟哭を

何度

あの崔家の草原に

一人赴き

重ねたか。

 

 

知り尽くしてしまった

自分の唯一の女のすべて。

 

チェ・ヨンとウンスの

肌と肌の重ね方。

 

一度重ねれば

剥がすことなど

できるはずもなく

 

躰のすべてが密着仕切った

二人の肌は

細胞の一つ一つまで

合わさり

離れることができない。

 

そんな愛を

必死に

急激に

短い間に

しかし何度も重ねた男が

あの戦い以来

一度も………。

 

 

 

 

 

正気のなくなった

乾き土色をした

その唇は

冷えて固くなり

 

氷の破片となって

ぱらん

ぱらんと

割れ落ちていく。

 

その姿は

誰が見ても

ユ・ウンスよりも重篤で

 

忙しさに身を紛らせ

表情を消そうとしているのが

一様に

分かりすぎるほどに

分かった。

 

 

 

 

 

三人の男たちは

チュンソクに説き伏せられ

王から新年の暇を貰い

それぞれ

遠方にでかけた。

 

遠方に・・・・・。

 

 

チャン・ビンは自分の故郷に。

 

ヨン・クォンと

ミョン・ノサムは

久しぶりに天界へ。

 

 

ようやく、三人は

新年を迎えるこの刻を

 

チェ・ヨンの視界には

映らぬところへと

旅立って行ったのだ。

 

 

だが、それを知らぬチェ・ヨン。

まだ、そのことを

知らされていない。

 

 

 

チェ・ヨンは

晦日から正月三が日までのことを

ずっと

考えていた。

 

 

 

今年もまた

大晦日まで王の護衛をしたのち

 

正月元旦だけは

夫婦水入らずに・・・

というわけにはいかず

本祝言の段取りも

早くつけたいところなのに

それもままならず

 

やはり

身寄りのない兄ヨン・クォンと

その男を護るミョン・ノサムは

自分の邸宅へ招かねばならぬだろう

 

そして正月二日は

迂達赤隊員や

王と王妃も呼び

崔家で宴を催し

 

正月三日には

英気をやしなうために

男たちで雁にいかねば

 

 

何度考えても

こうにしか行き着かない

正月。

 

考えるほどに

 

チェ・ヨンの喉は

焼けつくまでに

苦しくなった。

 

 

まるでウンスと

二人きりで過ごす刻がない。

どこにも

そんなもの

ありはしない。

 

 

それどころか

その時間が

わずかにあったとしても

自分がまるで挑めない。

 

 

むしろ避けて

逃げて

泣かせてばかりいる。

 

 

泣きたいのは

自分の方なのに。

 

 

いや、すでに泣ききり

だが、もっとその涙を流したく

消し去りたく

その雫を欲するためだけに

水を

 

ただ・・水を

飲む

 

そんな日々であるのに・・・。

 

 

だからこそ

この廊下から這い上がりくる冷気で

自分の躰を

がんじがらめにして

欲しかった。

 

 

ギリギリと

縛り上げられれば

本当の心が

吐露できるのでは。

 

隠さず

言ってしまえるのでは。

 

吐いて

楽になれるのでは。

 

 

高麗一の策士

王が

進むべき道を

指し示してくれるのでは。

 

 

チェ・ヨンは

そのことに

一縷の望みをかけていた。

 

 

 

 

「く…くる…し…い……」

 

心の中でだけ

そう叫ぶ。

 

のたうちまくる。

 

 

だが、表情には

おくびにも出さない。

 

 

 

「もっと」

 

「もっと俺を…」

 

 

「もっと…」

 

「いじ……め…て……」

 

「く…れ……」

 

 

「もっ……と……」

 

 

 

そう腹で

必死に念じた

 

瞬間

 

 

 

「ぎぃぃぃぃ」

 

 

王の執務室の

重厚なまでの扉が

開けられ

 

チェ・ヨンだけを

呑み込んだ。

 

 

幻に

なりたい

 

あの刻の

ように……