「ぱたん」

 

チェ・ヨンとウンスの

寝所と思われる場所の

扉の閉まるオトが

奥の方で微かに聞こえた。

 

こぞって首を伸ばす

迂達赤隊員たち。

 

テマンは口を手で押さえながら

こっそりと抜け出そうとしていた。

 

手で押さえておかないと

また自分は

何を口走ってしまうかわからない。

 

チェ・ヨンとウンスの

寝所がどこか

まるで忍者屋敷のように

細かく分かれている

多くの部屋の扉を

必死に見回す隊員たち。

 

それを叱責しているチュンソク。

 

 

逃げ出すなら

今だった。

 

 

 

「だから来たくなかったんだ」

 

「医仙様があんなに瞳をきらきら

させながら頼むから」

 

「つ…い……引き受けてしまったが」

 

心のなかでは、

つかえずに

思ったことを

すらすらと言えるテマン。

 

急患のありえない知らせに

チェ・ヨンがすっかり

拗ねて怒ってしまい

テコでも動かなさそうだったので

 

テマンはミソンたちに付き添い

典医寺までウンスを

送って行った。

 

どうせチェ・ヨンの邸宅へ戻っても

とばっちりを受けるだけだと

そのまま典医寺をうろうろしていた

テマン。

 

 

それにも飽きて

いつもチェ・ヨンが手をかけ

数え切れないほど

そこに手をかけているうちに

樹の皮がすっかりすりむけてしまった

そこを

 

テマンの節くれだった指で

触れながら

 

 

「テジャンも、かわいそうだよな」

 

「今日こそは」

 

「そう思われていただろうに」

 

「こんなに樹の皮を

すりむかせるほど

ぎりぎりと握りながら

見つめてばかりで」

 

「ご自分の奥方なのだから

正々堂々といけばいいのに」

 

「どうして、ここから

見てばかりいるんだろう」

 

そう思い、チェ・ヨンの幹に

チェ・ヨンと同じように

手をかけながら

ウンスの部屋の方を覗いてみた。

 

 

すると、

あろうことか。

 

チャン・ビンとウンスが

茶を飲みながら

楽しそうに話をしているのが

 

わずかに開けられた

扉の隙間から

はっきりと見ることが

できるではないか

 

 

「テ…テジャンっ」

 

「テ…テジャンはっ……」

 

 

テマンは、はっとした。

 

この幹からの

この絶妙すぎる

角度。

 

いつもここは

いつチェ・ヨンが

足音も気配もすっかり消し

いつやってくるか分からない

そんな場所だから

 

誰もここに

チェ・ヨンと同じように立ち

チェ・ヨンと同じように樹の幹に

手をかけ

佇んだことなど

なかった。

 

今のこのテマンが初めて。

 

 

テマンは、二人がそこで

そうして笑っていることよりも

 

その姿が、この樹のここから

絶妙すぎるほどに見えることに

驚いた。

 

ウンスの姿だけでなく

その部屋の中が

 

あれだけしか扉が開いてないのに

あからさまに見える。

 

閉まっていたとしても

影がよく映る。

 

テマンのそういった

カンカクですべての状況を

捉えるセンスは

迂達赤隊員たちの誰よりも

優れていた。

 

だから、チェ・ヨンと

やっていける。

 

感覚で動く二人。

 

瞬間に判断し

動ける二人。

 

 

計算しているというよりは

それはセンスの問題で

 

チェ・ヨンにはさらに

それに明晰な頭脳が

加わるからこその

絶妙であった。

 

 

このチェ・ヨンだからこそ

見極めたこの場所。

 

わざと誰もそこに立たないよう

いつやってくるか分からない風を

いつも醸し出している。

 

 

そんなことを思っている

テマンを

 

いつもそこを見ることが

実は習慣になってしまっている

ウンスが見つけた。

 

驚く。

 

いつものそこで

気配がしたのを瞬間感じ

 

チェ・ヨンが迎えにきてくれたのかと

それは嬉しそうに

 

今、チャン・ビンと

話していた時とは

比べものにならないほどの

笑顔で窓に近寄ってみたら

そこにいたのは

チェ・ヨンではなく

テマンだったから。

 

本当に驚いた顔をする

ウンス。

 

若干残念そうな

表情も垣間見えた。

 

そこはチェ・ヨンの場所なのに。

チェ・ヨンだけの場所なのに。

 

そんな表情を

あからさまにしてみせる

ウンスに

テマンは顔を赤くして

すっとそこから

立ち去ろうとした。

 

そんなテマンを

ウンスが呼んだ。

 

チェ・ヨンを呼ぶような

そんな仕草で。

 

つい、そんなことをして

少し罰が悪そうな顔をする

ウンス。

 

 

テマンは

 

「俺ですか?」

 

そう鼻を指で指し

 

「そうそう」

 

と頷きながら

再び手招きする

ウンス。

 

 

周りを見回しながら

テマンはウンスの元へと向かった。

 

誰か隊員に見られたら

それこそ大変なことになる。

 

あることないこと

チェ・ヨンに報告されて

あとでどんな目にあうか…。

 

ひとしきり周りを見回し

そこに誰もいないことを

確認してから

ようやくウンスのもとへと

すっと小走りに走った。

 

「早く済ませないと」

「いつどこで誰に見られるか」

 

慎重になるテマン。

 

ウンスの元へといき

膝をおり地面へ傅くテマン。

 

そんなテマンに

ウンスは

あろうことか

 

「そんなことしなくていいから」

 

「ヨンは絶対ここへなんか

今こないから、大丈夫だから」

 

「だから、ちょっと耳を貸して」

 

「早く」

 

 

 

「はぁ?」

 

思わずすっとんきょうな声を

あげるテマン。

 

テジャンの奥方ともあろうお方の

口元に耳を寄せるなど。

 

それでなくても

そのウンスの躰からは

あのテジャンの匂いまで

漂ってくるほどなのに。

 

チャン・ビンの方を睨む。

 

呆れたように。

 

「あんなに好きなくせに」

 

「よく一緒に笑いながら

茶など飲めるな」

 

そんなことを胸の中で思う。

 

チェ・ヨンがそこにいなくても

これほどまでに

チェ・ヨンの気配とともに

いるウンスの側に

よくそうしていられるなと

 

そんな瞳で

チャン・ビンを見ると

 

その男は

茶碗に浮かんだ茶柱を

見つめていた。

 

口元に

 

ふと浮かべる

あの男独特の

温かい笑みが浮かんでいる。

 

「いよいよおかしくなったのか」

 

そうテマンは少し怖くなり

窓際に置かれた

その机の上にある

チャンビンの茶碗を

覗き込んだ。

 

すると、

そこに写り込んでいたのは

ウンスの姿

だった。

 

倒れそうになるテマン。

 

 

あのチェ・ヨンといい

このチャン・ビンといい

 

どうしてこのように

絶妙すぎる場所を

押さえているのか。

 

どうして。

 

この男たちの

この男たちらしい

愛の妙を

なんとなく

このテマンが

理解した

 

そんな瞬間だった。

 

一気に

 

自分が一生ついていくと

決めたチェ・ヨンの秘密と

 

その女を諦め

二人を護ると

生涯独り身でいることを決めた

チャン・ビンの秘密を

知ってしまったテマン。

 

それ以上に

ウンスの内緒話など

聞けるはずもなかった。

 

頭を大きく振る。

 

これ以上はもう無理。

 

「勘弁してください」

 

そう言い逃げ去ろうとした

テマンを

意外と力の強い

ウンスの腕が

つかんだ。

 

「逃がさないわよ」

 

「どこ行くの」

 

「私の言うこと聞いてよ」

 

「お願い」

 

そんな声で言わないでくれと

テマンは泡を吹きそうになる

 

チャン・ビンが言う。

 

「聞いてやれ」

 

「お前もたまには

チェ・ヨンに一泡

吹かせてみたいだろう?」

 

「本当は、そう思っているのだろう?」

 

そんなことを言う。

 

テマンは首を左右に

大きく振った。

 

そんなことあるはずないのは

チャン・ビンも分かっていた。

 

この男は誰よりも愚直に

チェ・ヨンのことだけを

思い、ついていく男。

 

 

そんなことは

分かっていて

わざと言ったのだ。

 

ムキにならせて

わざと引き止めるために

 

ウンスはその隙に

テマンの腕を

力強く引っ張り

強引に

内緒話を始めた。

 

 

「あのね」

 

「チェ・ヨンね」

 

「すっごい怒ってるの」

 

「私、怖くて帰れないくらい

きっとすっごく怒ってるの」

 

「早く帰りたいけど

これじゃ帰れないじゃない?」

 

「また、お小言でしょ」

 

「どうせ」

 

「それでまた時間がたっちゃって」

 

「結局満足に話もできないのよ」

 

「でもそれじゃ、嫌なの」

 

「私、のんびりしたいのよ」

「たまには」

 

「だから、一役買って」

 

「ねっ」

 

「チェ・ヨンから折れて

こっちに優しく迎えにきてくれるように」

 

「ねっ」

 

 

「私は死ぬほど大変そうで

倒れそうです」

 

「とかでもいいし」

 

「もう診察は終わって

でも足をくじかれたみたいで

帰りたいのに帰れないようです」

 

「でもいいし」

 

「そこは任せるわ」

 

「テマンさんに」

 

「とにかく、心配して

ここへ迎えにきてくれて

それで

 

一言も目くじらたてて怒らず

くどくどと説教もせず

じりじりと嫌味も言わず

氷よりも冷たい空気とともに無言にもならず………

 

最初っから

優しい

ありったけ優しい

甘えん坊のチェ・ヨンで

いて欲しいのよ」

 

「今日は、そうして欲しいの」

 

「喧嘩するの疲れたの」

 

「もう」

 

「ね」

 

「いいでしょ?」

 

「ねっ。お願い」

 

 

 

テマンはウンスの

 

「ありったけ優しい甘えん坊のチェ・ヨン」

 

という言葉に

完全に頭を鈍器殴られたような顔をして

倒れそうになったところを

チャン・ビンに支えられた。

 

その男の腕もぷるぷると震えている。

それを打ち消すかのようにチャン・ビンは

やっとの思いで助け舟を出した。

 

 

「チェ・ヨンのところにへ行き」

 

「医仙はチェ・ヨンをおいて

ここへ来たことをすごく悔やみ

今、反省文を書いている」

 

「柔らかく赤茶の毛をむしりながら」

「イスをがたんがたんとして

何度も反対側へ倒れそうになりながら」

 

「そう言ったらどうだ?」

 

 

「それもチェ・ヨンのことを

毎晩思い練習に練習を重ねてきた

チェ・ヨンの読める漢字で」

 

「テ…ジャ…ン……」

 

「とつぶやきながら………」

 

 

「どうだ。これならあいつ」

「満面の笑みで突っ走ってくるだろう」

 

「すぐに」

 

 

 

 

「インジャっ」

 

「待たせました」

 

「すまぬ」

 

「許せ」

 

 

 

「得意のその言葉で

だが、鼻をひくひくさせながら

笑顔になってしまうのを

必死にこらえながら

そう、無愛想な顔を作りながら

言うだろう」

 

 

 

テマンはうなづいた。

 

 

「毎晩」

 

「テジャンのことを思いながら」

 

「漢字」

 

「練習」

 

「書いている」

 

「テジャンと」

 

「言いながら」

 

 

 

その言葉を指おり

繰り返しながら

 

 

「今回だけですよ」

「もう知りませんからね」

 

そう言うとともに、そこを矢のように

走り去って行った。

 

 

そしてチェ・ヨンの邸宅へと戻り

そのような難しい宿題を

いつ言だそうかと

時を探っていたら

 

あれだ。

 

あのチェ・ヨンの姿だ。

 

その格好も格好なら

していることもしていることで

 

驚き腰を抜かそうとしたところに

隊員たちが来て

あのようなことになり

 

思わず言われた言葉を忘れ

事実だけを伝えてしまった。

 

 

「ああ…俺としたことが」

 

「どうしよう」

 

「早く、お伝えしないと」

 

「医仙様に」

 

 

そう言いながら

また典医寺までの道を

走りに走る。

 

「時間がない」

 

「テジャンのことだ」

 

「すぐにやってくるだろう」

「なんだかんだ言って」

 

「じっくりあいつらの作戦なんて

聞いてるはずがない」

 

「まずい」

 

「早くしなければ」

 

「早くお伝えしなえければ」

 

 

そして再び

典医寺へとたどり着き

二人のもとへと急ぎ走り

報告した。

 

 

 

「す、すみませぬっ」

 

「さ、さ、作戦失敗に」

 

 

「おおおお、終わりましたっ」

 

 

 

 

 

 

インジャ…

 

俺は本当は

 

今日の昼は

 

インジャとの

でいとを

 

計画していたのですよ

 

本当は…。

 

嘘ではありませぬ。

 

そりゃあ妄想はしました。

 

昼の明るい時の

あんなインジャ。

こんなインジャ。

 

でもそれよりも

 

川で遊び

あの樹のふもとで

 

握り飯を

二人っきりで

 

だべてみたかったのです。

 

なのに、インジャ…。

 

ひどい

 

インジャ…。

 

 

インジャ……

 

必死に握り飯の

うまい握り方。

 

習い鍛錬してきたのに。

 

イムジャ・・

ひどい・・・・・・。

 

 

チャン・ビンと

そのようなところで

笑ってるなど・・・。

 

 

ひど・・すぎ・・る・・・。

 

 

 

ゆえに・・・
絶対寝かせぬ。

絶対に。

 

そのために俺は

昼間ふて寝していたのだ。

 

体力満タンにするために…。

 

俺が決めたら最後。

ご覚悟を。

 

イムジャ……。