私は母親譲りで
お料理が大好きです✨

でも母親のように
魚をさばいたり
カツオのたたきを
藁を燃やして作ったりはできません。

いつも料理番組見て
新しいメニューに挑戦していた母でした。

結婚するとき
父親から
「暖かい家庭があれば
           夫は必ず家に帰る」
と言われました

何故そんなことを言ったのか。


それは

結婚前の家庭調査で
義父の女癖の悪いことが判明したからです。


そして母親も
「胃袋掴んだら男は家に帰る」


と言いました。

私の父親は長身でハンサム
優しい人だったからモテたはず。


でも浮いた話は聞いたことがなかったし
いつも家にいた。

母親はお琴教室をやっていて
夕方から夜にかけて次々と
お弟子さんがやってくるので
いつもご飯は遅かったけれど
手の込んだ料理を用意してくれた

今のように電子レンジなどなかったから
昼間のうちに下ごしらえをして
後は炒めたり揚げたりするだけに
していたのだと思う

私が高校生のときつけてくれていた
家庭教師の大学生たちは
母親のご飯が何よりの楽しみだったようでした

私が大学生の時
母親から料理教室に行くように
言われました

母親から習ってないことが
いっぱいあるのに

なぜ?

と聞いたら

「私が扱わない食材や
       作ったことないメニューを
       習ってきてほしいから
          月謝は出してあげるから☺️」


で、大学の近くにあった
カルチャースクールへ


そこで出会った先生が凄い人だった

冷蔵庫にある食材で
安い食材で
和洋中の
メイン、副食、デザートまで
作ってしまう

等々主婦の味方❗️

結局結婚して長女を産む前の月まで
6年も通った☺️


お陰でメニューも増え
夫も喜んだはず。

私が習って帰る日は
同じメニューを
母親と一緒に復習のために作る

楽しかったなぁ


娘たちも母親の料理は大好きだった

特にちらし寿司が一番の
お気に入りで誕生日には
必ず並んでいた

そんな母親が
認知症の初期に
料理ができなくなった

「天ぷらを作ったから取りにおいで」

行ってみたら

小麦粉の塊が積み上げられていた

?????

「レンジの中にはお芋もあるから」


見ると空っぽのお皿があるだけ

それからお鍋ややかんの空焚きが続き

ヘルパーさんを
お願いして母親と一緒に
料理を作ってもらっていたが

徐々に母親は作らなくなって
黙って出されたものを
食べるだけになっていった


あんなに料理が好きで
上手だった母親が
作らなくなっていく姿は
寂しかった


東京に行くと
娘たちのために料理を作る

普段食べられないようなものを
沢山作る


孫はお手紙に必ず
「おいしいごはんをありがとう」

と書いてくれる

長女のお婿さんも
いつも美味しい美味しいと言ってくれる


そんな私にも


料理ができなくなる日が



来るのかな😢