どちらかが全てということはないだろうが、明らかに問題を起こす不器用なことをしあのは僕である。


もっと、もっと僕は大人にならなくてはいけない。


もっと自分をさらけ出すことは大事です。


東京出張。何回目だろうか。いつもは焦っていたが、今回は良かった。

F君の尽力や業務部の意向が漸く判ったきた。会社の中の役員と実行部隊の温度差とか、本当に複雑だけど、良く判る。


知花くららは可愛い。きれいだなあ。うちの奥さんは似ているね。活き活きしている中に知性や教養を感じる。それをさりげなく。


さあ、仕事をうまくやろう!


しかし、エルメスとか、何とか、ブランドは良く判らないなあ。助成がブランドが好きなのは自信を持つ為という心理分析を先輩がしていた。女性の心理は永遠に理解できないのか?いや、理解しようと考えてはいけないのか。いや、それはもっとちゃんと向き合わないといけないだけな気がする。


愛していればそれで良いのではないか。

僕が判っていないだけだろうなあ。

まあ何にせよ、僕は奥さんが一番なのである。


情操教育のないY家。独りで考えすぎてきた時間。両親との独特の関係。

いろんな背景はあるけど、そういうのは、もう過去じゃないか。


彼女とは喧嘩はいっぱいした。

僕は甲斐性がないからか、褒めた、喜んだり、ダメダメだあああ。


そうそう、だからこそ、健康でいることが何よりも大事なのである。


I love you, my only wife, partner, mentor and friend..........


TKY


日々の生活の考え方として、オンとオフという時間の分け方はとても大切ですね。

これから気を付くよう。


私の場合、小さい頃は体が弱かった。


小学生前にオーストラリアとパキスタンに行っていたせいなのか、日本に戻ってきたら、喘息になりました。

英語しか話せなかったから、最初は良く苛められたを覚えている。

なんとなく記憶にあるのは、そう、渋谷の猿楽町の坂で、心臓の動悸が激しくて時々、うずくまっていたこと。

母には僕を看る余裕なんてなかったんだと思う。

なぜか、当時から左目が悪い。恐らくはそれ迄、気付かなくて生まれた時から名なのだろうと思う。渋谷にあった野崎眼科で視力回復なんてプログラムを暗い部屋で、片目を隠してやっていたけど、毎回毎回やっていれば全て暗記してしまうよね。

あの眼科はまだ開業しているのだろうか?


その時から私は余り医者を信じない癖がついている。


一生懸命なじもうとすればするほど、私は英語を忘れていき、完全に頭には単語の一つもない。


ストレスの溜まった兄に苛められて、母親に甘える日々もあったと思う。転向はやっぱり性格に影響しているよね。

中学生の時、兄が苛められた学校に入学して、私はすっかり臆病になっていた。


そして英国に転向。それまで地元の庶民から、海外に出るような方々の子息の学校。

ここでもまた苛めの毎日。すっかり臆病になってイジけていたけど、発作性の頻拍症は辛かった。

皆、格好良く、サッカーやっていた。これができないと欠陥商品扱い。そう、私は欠陥商品だったのかもしれない。

恋愛もしたなあ。格好だけの恋愛もあったけど、それから本当に好きな思いも育った人もいた。


TKY