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女子大生の初体験

昨日はとっても恥ずかしいことがありました。

こんなとこに書いていいのかな。うふふ☆





って書いたら人がたくさん来たりするのかな。これでアクセス増えたら世の中は腐ってるな。

ある意味健全だけど。


というわけでコミックバトンをやってみよう。


・Total volume of comic on my Bookshelf
(本棚に入ってる漫画単行本の冊数) 

多分200冊くらい。結構売っぱらってるせいかそこまで無い。

・Comic thought to be interesting now
(今面白い漫画)

最近雑誌で漫画を読まないからなんとも。


・Five comic I read to a lot, or that mean a lot to me
(よく読む、または特別な思い入れのある5つの漫画)


安野 モヨコ
ジェリービーンズ 5 (5)

服作りに目覚めた田舎の女子中学生のサクセスストーリーを恋愛やら友達やらを絡めて書く、という王道過ぎる作品。安野モヨコの良さが全開だと個人的には思う。


実は一番集めている作家が安野モヨコだったりする。

松本大洋が「いかに頭の中の考えを紙に落とせるか、それが漫画の全てだ」とか言ってた気がするけど、安野モヨコは頭の中のイメージを変えないまま、他者に伝わるような絵に落としこめる才能がある気がする。

だから女性主人公の妄想が炸裂するような漫画(例えばハッピーマニア)のが向いてるんじゃないかな、とお仕事マンを見てて思った。お仕事マンも面白いけどね。




古谷 実
行け!稲中卓球部 (1)

説明不要。これ見てヤンマガ買い始めた。古谷実も集めてます。

ヒミズもシガテラも面白かったけど、最近のサブカル誌の古谷実の持ち上げっぷりはなんか気持ち悪い。。”いかにして不条理を描くか”が古谷実のテーマだと勝手に思っていて、それ自体はこの頃から一貫してるんじゃなかろうか。そのテーマを実際に表現するとき、ギャグ漫画なら稲中に、青春漫画の表ならシガテラで裏がヒミズ、ってみたいに。




荒木 飛呂彦
ジョジョの奇妙な冒険 (47)

荒木先生が「ジョジョは人間賛歌だ」と仰っていました。

人間という生物を信じるという、生きていく上で最も大事なことを教えてくれた漫画です。

荒木先生の敬称は略せないな、やっぱり。




岸本 斉史
NARUTO 巻ノ28 (28)

ジャンプで連載が始まった当初は「どうせよくある話だろ」と思って読んでなかった。

後で単行本で読んで後悔。普通に面白い。シカマルが好き。

内容と関係ないが、コミックスの余白の部分に作者の生い立ちが書いてあって、漫画家になるまでの苦悩の日々が書かれているのが非常にリアルで面白い。自分が信じた道で生計を立てることが、いかに厳しく辛い道なのかがわかる。




こいずみ まり
コイズミ学習ブック 3 (3)

いろえろ勉強になりました。




まあ結構無難なかんじかな。正直、安野モヨコと古谷実以外はそのときの気分でだいぶ変わるでしょう。

岡崎京子もなんだかんだで好きだしね。

国際化について

大学、外国不在の国際化

http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20050703ur03.htm


新聞で流し読んで、「へーそうなんだ」という感想を持った程度のこの記事。

後日ゼミで、モンゴルからの留学生が、この話題について教授に質問していました。

そしたら、ゼミの教授がこんなことを言ってました。


「現実を無視した話ですね。例えば、外国の先生が教壇に来て講義を始めたとして、皆さんは内容を理解できますか?理解できないでしょう。教える側も非常に大変で、私は海外の大学で教えた経験がありますが本当に辛いです。日常的に使っていない言葉で何かを教えることはとても難しい。ただ呼べば良いという問題では無いのです。海外の大学では外国人教授や学生の比率が高い、と言いますが、それは英語圏限定の話です。実際にドイツやフランスの大学では海外からの学生が少ないため、わざわざ英語によるコースを作り始めました。しかし教授は皆、とても苦労しています。」


「私が南アフリカの大学で教えていたとき、一緒に来ていたアメリカ人の教授がこんなことを言っていました。『私はアメリカ人で、妻はウェールズ人だ。そして今南アフリカの大学で教えている。国際人とは私たちのような事を言うのだろう』と。皆さんどう思われますか?私には何が国際人だか理解できませんでした。どこも英語圏の地域じゃないですか。彼らは自分たちが日常的に使っている言葉を違う場所で話しているだけです。それだけで、彼らは国際人という言葉を口にする。おかしいですよね。」


「日本の大学の教育は失敗だ、と言われているがそんなことはありません。学生は皆真面目ですし、講義のレベルは高く、基本的な能力はかなり優れています。ではなぜ国際的な評価が低いのか。それは英語が上手く喋ることが出来ないからです。海外の人々と議論するとき、どうしても英語を使うことが多くなります。英語圏の人々が評価されやすいのは当然なのです。東南アジアの多くの学生も同じ問題に直面し、外国人教授からの評価へは不満を持っていました。」


「しかし、心配する必要はありません。中身にしっかりした物を持っていれば、英語が拙くても評価されます。南アフリカの大学から、私は次の年も教えに来てくださいと頼まれましたが、例のアメリカ人の教授は2度と呼ばれることは有りませんでした。私は決して英語は上手くありません。しかし、彼よりも優秀であったから、また頼まれたのです。評価されにくくとも、しっかりとした中身が伴っていれば理解されるのです。確かに今後は海外の人々とビジネスをする事が多くなり、厳しい時代になっていくかもしれません。けれど、皆さんは優秀です。自信を持って、しっかり勉強し、世界で通用する人間になってください。」


ついでにマスコミほどドメステイックで世界の動向を理解していない人種はいない、と批判されていました。懸命に努力している大学や教授が、印象論でしか語れないマスコミのおかげで迷惑を被っていると。まあこれはあちこちで言われ過ぎてるだろうし脇に置いときます。



勿論、現在の大学の留学生受け入れ態勢に問題があることは事実でしょう。しかし、実際に外国人教授が来て教えるということ、そして、日本語を使いこなせない学生が日本で学ぶことに関して、もうすこし想像力を働かして考えてみたほうが良いんじゃないでしょうか。さもなければ、場当たり的な対処療法で終始してしまうでしょう。

にしてもなぜ「国際化」となると皆敏感に反応するんでしょう?日本人は、なぜか「国際化」という言葉に対するコンプレックスを持っているように感じます(自分も含め)。その理由を考えてみると、『国際化が出来ない原因が日本の文化にある』と言われているからではないでしょうか。自分たちのアイデンティティである文化が否定されているような気分になるから、「国際化」という言葉に敏感に、そして臆病になってしまうんじゃないかと。


しかし、本当に文化が悪いんでしょうか?


アメリカ人やその他英語に堪能な方々(インド人とか)は国際化が非常に進んでいると言われることが多い気がします。もしかしてその背景には、文化的な問題よりも、自分たちが得意な言語が国際的な舞台で使われる事が多いといった、物理的な要因のほうが大きいんじゃないのかしら。英語が上手く喋れなかったら意見しづらいのは当然なんじゃないかな。現段階での国際化は、あくまで意思疎通のツールにしか過ぎない英語を偏重しすぎていて、そのことに無自覚な人々が多すぎる気がします。勿論英語は重要だけれども、それで何を伝えるか、何を伝えたいかを考える方が大切なはずです。例え英語が日本語なまりで、無表情で、ジェスチャーが小さくて、控えめでも、何かしっかりしたものが存在していてそれを伝えることが出来るのならば、国際化に対応出来るのではないでしょうか。


海外には旅行で行った程度の俺が言っても説得力無いですがね。まあいかにも日本人な俺でもどうにかなる、という自己暗示のようなお話でした。

続・トラックバックをやってみよう

「トラックバックすることで情報源を明確にし、自分のエントリーの信頼性を高めることが出来る。そもそもブログ自体が、webの長所である匿名性を保ったままいかに信頼性の高い存在を作り出すかということにあったのでは。」とか、そんなことを書くはずだったのですが、考えていくうちにいたってシンプルな結論に辿り着きました。


「トラックバックは使い方次第でどうとでもなる。使い方によってあらゆる可能性が存在する」


なんか身も蓋も無い結論ですが。

トラックバックはその対象との関係で価値が変わってきますもんね。

そもそも俺が今トラックバックしてるのは友達にURLを教えるためだけで、そうしたとこで信頼性が高まるわけでもないよなー。

トラックバックスパムとかいう広告まがいのもあるみたいだし。


ある程度性質がわかる個人同士の文章をつなげる事が出来る。

シンプルだからこそ可能性は無限大であると。

考えた人すげー。





トラックバックをやってみよう

せっかくblogなんだしね、というわけです。

はじめは失敗してコメントしてしまいました。

ちなみにトラックバック先は現実世界の友人です。

 

トラックバックについてちょっと勘違いしてたかも。

既に投稿ずみのエントリーと、それに関係ある他のblogのエントリーをリンクさせるだけだろ、って思ってたら、基本的には新しいエントリーを投稿しないとトラックバックって出来ないんすね。

関係ある記事を見つけたらちょこっとクリックするだけで出来ると思ってました。

トラックバックという行為自体にこんな労力がかかるなんて思わなかったもんで。

 

やった(正確にはやってみる)感想としては、

①似たような内容のエントリーを示すことでエントリーの内容を深めるという機能以上に、そのエントリーがどこから影響を受けて生まれたものであるかを示すという意味合いが大きいのかな。

②トラックバックという行為は非常に積極的なコミュニケーション手段であることは間違いない。他人の考えにわざわざ意見しに行くなんて。

という感じです。

 

やっぱり実際にやってみるって重要。

俺がトラックバックを「関係ある記事が集まってるだけでしょ」って思ってたのは、切込隊長やらR30やら(敬称略)の有名blogばっかり見ていたからで、読む側の論理しか理解していなかったわけですな。

 

ちょっとトラックバックについて思うことがあるので次回もトラックバックについて書こう。

もうすでにこの手の議論はされつくしているだろうけども、あえてやってみようと思います。

後発者の利益ってやつです。

今日から

blogでもやってみようと思います。