ならば何だ。何をすれば良いというのだ。僕は現状を肯定するべきだ。それが如何に受け入れ難いものであろうとも、それをしないことには始まらぬ。そこまではわかるし、その努力はしているつもりだ。可能性を否定せず、できる限りその存在を認めようとしている。しかし、そこから先がわからぬ。自ら発信すること?発信するための「何か」の蓄積だってまだできていないのに?だから戻りたいのだ。一番の願い事は「楽しさを享受していたい」やりたい事なんてとっくの昔に見失っていた。漠然とした、抽象的な「やりたいこと」しかわからなくて、実現可能な「やりたいこと」は死んだ。これじゃあ五か月前と何も変わらないよ、と僕は囁いて眠りにつく。眠りから覚めると家に一人で、シンクには洗い物がたまっている。もう一週間が始まっているのにアイロンがけを忘れていた。家を出る時間から風呂を洗う時間、布団をたたむ時間、洗物をする時間を引くと何も残らない。朝食抜きが決定した僕は急ぐ意味が分からなくなって今日もしっかりとした足取りで目的地とは反対の方へと歩いている。五月の何が人を駄目にするのだろう。僕を深く深くへと落とす爽やかな風が苦手で愛おしい。堕落の味がするカップラーメンも愛おしい。最後の最後まで落ちることができない中途半端な状態が一番つらいのかもしれない。諦めきれない現実と落ちた先の幻想が一緒くたになって、なって…。何がしたいの?と聞かれたら僕は何と答えるのだろう。ずっと塾にいたいとか、逃げる方向の回答はいらないとなると……。誰か助けてくれ!自分を理解することにどうして躊躇しない?どうしてその程度で理解できたと思っている?わけがわからない。何がわからない?なぜこんなに苦しまなければいけない。どうして足踏みばかりで前にすすめない?理由が分かっているのに打開策が見つからないとは一体どういうことだ。でも一番の願いは…やっぱりこの願いが叶えられないことだ。僕の願いが叶えられませんように。「僕の願いを知ることが願い」と言っていたあの人も、結局叶ってしまうことに恐怖していた。願えば叶ってしまうのだ。この恐ろしさがわかるかい?でもそれって願いがポーズであるということなのか?それとはまた違うと感じたのだが……。叶えられる願いを持ってはいけない、と聞いたけれど、そんなものは不可能だ。強烈に願えば何でも叶えられてしまうのだ。僕は最初の願いが叶ってしまったせいでこんなところで藻掻いてる。苦しいと言いながら、満面の笑みで藻掻いている。僕のことを助けてくれる人なんて(一人しか)いないと固く信じながらも、無関係な人たちにわかりづらいSOSを出す。どうせ誰もわかってくれない、わからないでくれ、と思いながら助けを求めるべく叫ぶ。こんなんじゃ何も変わらないよ。でもそれも望んでいるんでしょう?となると僕はすべてを望んでいるのか。矛盾する現象どちらとも望んでいるというのか。不安定なループを望んでるのか。単純作業で処理できて、継続してやるべきことを見つけよう。古文を読むとか、思想史の流れを知るとか…。うまいこと逃げながら、逃げた先でやっていることが自分のためになることであれば良い。(ためになることって何でしょうね。)いつまでも小雨みたいな状態じゃあ、二進も三進もいきませんよ。どうせなら快晴にしましょ、どうせなら嵐にしましょ。