自分のダメなとこ | 半世紀少年乃 皮膚筋炎 間質性肺炎 闘病日記

半世紀少年乃 皮膚筋炎 間質性肺炎 闘病日記

皮膚筋炎と間質性肺炎を発症。
妻と娘、息子、犬、猫、みんなに支えられて生きています。
某メーカーで、マーケティング、営業企画、商品企画、海外企画の責任者を歴任し、独特の成功商品開発メソッドで大ヒット商品を連発。
独立して商品企画コンサルタントをやってます。

先日会社に立ち寄ったら、
机の上に書類が置いてあった。

ストレスチェック報告書。

毎年機械的にやるやつニヤリ

結果はいつも、
「労働安全衛生法第66条の10に基く医師面接を
受けることをお勧めします」

今行けるかっ!と呟いたムキー

5年前に医師面接に行った、
精神病院を紹介され、
躁鬱病で、リチウムか何かの薬を飲んでいた。

それでも、仕事を頑張った。

翌年から行かなくても、会社は何も言わない。

担当者は法律を守りたいのであって、
人間を守りたいわけでない。ということだ。

病院に行くと、さらに悪くなってしまいそうで、
うまく付き合っていく方法を
自分で探し、オンオフを大事にすることにした、
仕事をして、家族と行動して、
好きな音楽を聴いて、ライブに行って、
一生懸命に自由に、気ままに暮らしていた。

国内担当だったので、出張も多かったけど、
客先ともうまく関係ができていたことなど、
お客さんに救われたことも多かった。
強面の相手先の社長は、実は打ち解ければ、
気さくないい人たちだった。

海外担当に変わって、環境が変わった。
今まであまり関わってこなかった、
事業部に素人みたいなマネージャーが
来るわけだから歓迎されるわけがない。

部門を変えて欲しい。
これが、私に与えられたミッションだったはず。

中に入るとわかった。
ずっと同じところで仕事をしている人、
特に社歴の長い人に変わる意識はない。
自分がしてきたことを否定されたくないわけだ。

今まではこうしてきたのに、
が口癖の人たちだった。
「それがダメだから、上層部は私をここに
送ったんだろうがムキー」と心の中で呟いた。

これは厄介だ。
正面から変えるのを諦め、四年かけて、
少しづつ、現場の意識を変えてきた。
若い担当者から少しづつ、
会話の量を増やしていった。
鬼のようだった私は、仏になった。
世界中の現場に同行し、
一緒に汗を流し、
今までの習慣を変えようとした。

多部署で干された人、インド赴任の課長などを、
帰任させて、部に取り込み、
過去の慣習にとらわれない
チームを作った。
野球もできない小さなチームだけど私の自慢のチームだ。

今、そのチームは私がいない穴を
きちんと埋めていてくれる。感謝。

下のブログを見て、思った。


あまりの不安症
あまりの責任感の強さ
あまりの正義感の強さ
人に気を配りすぎる
あることにずっと怒りをいだいていた

は、体に毒だと。

ストレスが体の病気に直結するかは、
今でもわからない。

でも、言ってることはわかる。
克服方法はイベントに行けないので、
わからないけど、取り除かなければ。

私は心配性だ。
家族旅行の先から、家に電話してた。
留守電になれば、火事にはなってないから(笑)

私は責任感が強い。
納期のない仕事を徹夜してでもやりきってしまう。大体依頼者は飲みに行ってしまう。

私は正義感が強い
強い立場の人間にへつらってばかりいる
人間は大嫌い。無口な現場の人間が仕事を
支えているんだ。

私は人に気を配りすぎる
仕事の手順。上司、部下とのコミニュケーション。飲み会でのしきたり。

私はあることにずっと怒りをいだいている
過去形ではない。ここでは表現できないような。
相手だけの問題じゃない。
自分だけの問題じゃない。
でも、多分解決できることではない。

世の中は、理不尽で、不公平。

そんな世の中だけど、
生きていたい理由があるから、

まずは、自分を変えよう。