カバの体にキリンの頭をした動物を考えることができる。
でも、カバに対して頭キリンになれ!!! っていってみてもキリンにはならない。
もしなったとしたら自分がハリーポッターか、少し病んでいるかの二択でしかない。
犬は色をうまく認識できない。
それは人間と構造が違うからであって、
「うまく認識する」は正しくは「人間程度に認識する」の言い換えである。
もし、人間の見ることのできる色の世界は全部認識できて
なおかつ赤外線も紫外線も認識できる昆虫がいたとしたら、
彼らにとって人間は「うまく認識」できない生物である。
彼らにとっての世界はどんな風にうつるんだろうか。
ここである疑問が発生する。
普段自分の横にいる彼/彼女は実は赤外線が見えているんじゃなかろうか。
赤外線はないにしても、なにか違う光線が見えているのではなかろうか。
そもそも、自分が認識している赤色は、友達には(自分にとっての)緑に見えているかもしれないし、親には(自分にとっての)黄色に見えているのかもしれない。
自分が この赤いいね と指さしたものは、友人には 自分にとっての緑=友達にとっての赤 に見えていて、
友達が うん、いい赤色だね と答えたとすればコミュニケーションにはなんの支障もきたさない。
つまり、共通認識の赤は、実は赤じゃないのかもしれない。
友達には、まったく違う世界が見えているのかもしれない。
なんという中2病でしょうか(笑)
中2病ついでに中2病っぽい考え事をもう少し。
左のない世界ってどんな世界でしょうか。
曲がり角には、右しかない。
そもそも左のない世界に右なんて存在するんでしょうか。
ここから独我論に発展して。
今自分の見ている世界は、直接的に世界を共有認知しているのではなくて、
自分がそこに世界が存在することを 思って 認知している。
事象は直接的に理解できるのではなくて、自己が思うことによって初めて認知される。
優しい○○君 は自己が○○君を優しいと思って初めて成立する。
それどころか○○君は自己が ○○君が存在する と思うことをもって初めて存在する。
すべての物事は、思う自己を介して初めて存在するのであって、それは自己が思うものであって本質ではない。
それでは自己の世界に確実に・本質的に存在するのは、自己だけではないか。
そうだとすると、本来的に他者のいない世界に自己など存在するのかという問題にぶつかりますね。
もう何いってるかわかんないんで終わります(笑)
う-ん、そんな冷たい目でみないでください(゜レ゜)b