ちょっとこの前悠作に話した話、くまさんにも以前ちょっと話したかな(゜レ゜)
努力することはとても大切なことで、努力できるということは才能
これにはなんの異存もなくて、やっぱり努力は大切なんだろう
じゃあなんで努力に「大切」という価値が生じるのか。
努力することが大切だと思う人の中には結果主義を厭う傾向(嫌う、ではなくあくまで厭う)にある人がしばしばいる。
この傾向は、おかしいと思う。
努力、が努力ただ1つとしての価値以上に輝かしいものとしての価値を帯びるのは、努力したことによる「結果(もちろんここでの結果はポジティブな意味での結果)」がついてくる可能性があるからでしょう?
努力したことによってわかることがあるとか、努力したことに意味がある、とかいうけど、
努力したことによってついてきた結果によってわかることや、努力したことによってついてきた結果の意味に比べればそれは微々たるものであることは多くの場合において言えそうだと思う。
ただ、この場合の努力の価値は有無で定義されるのではなくて程度の話なのだから、努力をすること自体の意味を否定するといった趣旨の発言ではないです。
ただ自分の考え方としては 努力<結果 であることには間違いない。
そこで思いつくことが、努力の使い方の問題。
アメブロの友好関係的にこの記事を見る方の大半が受験生層なので、すごいイヤな印象を持つかもしれないけど思い切って書こうかな(笑)
受験勉強のお話。主に現役生に向けてになるけどね。
受験勉強で、志望大学へ合格するために勉強に明け暮れている人も多いと思うし、それがうまくいかなくて焦ってみたり感情が揺れたりする人が多いと思う。
だけど、大学受験の勉強って本当に大切でしょうか。
高1高2から塾で過ごす時間をたくさん確保して勉強したり、遊ぶ時間を削って勉強したり、それに本当に意味があるのでしょうか。
その努力(と時間)はもっと他のことに使えないのでしょうか。
理系は受験勉強がどう将来に繋がるのかイマイチわからないので置いておいて。
例えば「官僚になりたい」から東大に行きたいという人はたくさんいます。
じゃあ、東大に入るための勉強は官僚になるための勉強とイコールかといえば、かなり不必要な部分が多い。
それだったら東大に最低点で入学する努力量を正確に見極めて、官僚になるため・なってからのための努力をするほうがはるかに理に適う。
浪人生はこの見極めを失敗したときのリスクがあまりに大きいから、現役生向けの話にしました。現役生も高3になるとなかなかリスクや各々の状況から厳しくなる可能性が大きいけどね。
別に東大や受験勉強に限った話をしているわけではないです。あくまで例です。
要約して理想論をいうと
沢山努力をすること自体にはあまり意味がない。その努力をする理由となる、達成したい結果に必要な努力を見極めて他の経験をするための努力にまわしたほうがはるかに価値のある努力の仕方になる、ということです。
あくまで思想上の話であって、自分がこれをすべて体現しているかどうかは別のお話です。
これだから努力って難しい、とも思うなあ。