つたない知識でいろいろ書いたっていいじゃない、ブログだもの。のコンセプトで(^u^)
座ることを拒否する椅子は椅子だろうか。
かの岡本太郎の作品である。
事実や真理のさまざまな議論がかわされる。
ここではK・ポパーの提唱した理念的目的「合意を形成しながら事実・真理へと近づいていく」という立場をとる。
合意形成のアプローチが事実・真理到達へのアプローチと合致する点からいえば、事実・心理は事象の絶対性から独立しているともいえよう。そこでは情報・真偽の整合性が問題とはならず、ある一定の社会集団での合意形成に事実・真理が大きく依存しているということである。
それでは、「椅子」という概念における我々が形成した、もしくはしつつある合意とはどのようなものであろうか。
広辞苑によれば、「こしかけるための家具。腰掛け。」とある。明鏡国語辞典にうつれば「腰をかけて座るための家具。」と述べられている。
この合意存在の真偽はもちろん問題になるところであるが、煩雑化回避のためにここでの議論はしない(一見すると「一般的に判断して」と片づけたいところである。しかしこの「一般的」が「椅子という概念」における合意形成に十分影響された「一般的」であるため、この一般的な概念のもとに下す判断ではそもそも真偽性を確認することはできないことに注意されたい)。
したがって、ここでは「椅子」という概念において我々が形成した合意を「もっぱら腰を掛け座ることを目的にして作られた家具」だとしよう。
ここで最初の疑問に戻る。座ることを拒否する椅子は椅子だろうか。
座ることを目的として作られたものが椅子であるのに、座ることを拒否したらそれは椅子ではない。
なぜなら、制作段階で「座ることを目的」にされていないためである。
この論理には破綻がないように思われる。
そこで私が問題にしたいことは、椅子についての疑問ではない。
合意を形成しながら事実・真理へと近づいていく、というアプローチへの疑問である。
そしてもう一つの問題は、この文章を書き続けていると、着地点までにこの分量の10倍は書かないといけないことに気が付いてもういやーんということである。急にアプローチへの疑問にとんだのはそういう理由である。許してくださいである。